2015年05月16日
仕方がない
「仕方がない」は,多く,
諦め,
の含意がある。語源的には,
「シカタ(手段。方法)+が+ない」
で,どうにもならない,やむを得ない,という意味である。
「理不尽な困難や悲劇に見舞われたり,避けられない事態に直面したりしたさいに,粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句」
という説明がある。同義の表現として,
仕様がない,
やむを得ない,
せんない,
詮方ない,
余儀ない,
是非も無し,
是非も及ばず,
がある。どちらかというと,
他に打つ手がない,
そうする他ない,
避けて通れない,
逃げられない,
不可避の,
という色合いが濃い。「おのずから」そうなっている,という,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/415685379.html
でふれた,無常観にも通じるのかもしれない。しかし,天災や天変地異ではない,人為のことにまで,そういうことで,自分を責任の埒から免れさせようとしている,責任逃れの色がなくもない。
織田信長が本能寺で光秀軍に取り囲まれた際,
「是非も及ばず」
と漏らしたと,『信長公記』にある。この場合はわかる。是非に及びようはない。そういう切迫した事態だとということではなく,
おのれが重用した惟任光秀が,
という意味では,おのれの所業の付けである。
あるいは,昭和天皇が,1975年,訪米から帰国した際に行われた記者会見で,広島市への原子爆弾投下について質問されて,
「遺憾に思っておりますが,こういう戦争中であることですから,どうも,広島市民に対しては気の毒であるが,やむを得ないことと私は思っております」
と答えたのも,過去のことだから,こうしか言いようはないのかもしれない。しかし,そういうことで,ご自身が開戦の詔を発したということについては,口を閉ざしている,という意味では,免罪符になっている,とも言える。
もっと言えば,まだ起きていなない,あるいは起きつつある,まさにその瞬間に,
仕方ない,
と言うのは,いかがであろうか。ここにもまた,自分たちの力ではどうしようもないのだから,どうしようもない,まさに,
長いものに巻かれろ,
式の諦観,というよりは,責任放棄である。
「しかた」は,
「サ変の連用形,シ(為)+方」
やり方,手段である。「仕方」は,だから,
なすべき方法,やりかた,
ふるまい,
(仕形とも書く)てまね,
という意味が載る。
まだ,いま,手は打てる,打てるのに,何もしない楽の方に,
いまだけ,
金だけ,
自分だけ,
の刹那の中に,逃げてしまうのは,後になって,
やむを得なかったね,
というのと同じである。敗戦の焼け野原で,
仕方ない,
と思えたから,いま生きている。いま命をつないでいる。しかし,
仕方ない,
と言えないまま,野面に,海に,山に,屍をさらした人は,その言葉をつぶやくことさえない。いま,その瀬戸際にある。おのれや,おのれの子が,そうなることを想定しなくてはならない。自分の子が,屍をさらすのを,
仕方がない,
などとつぶやくようでは,人間をやめた方がいい,かも。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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