2015年05月22日

言語化



先日,JCAKへ勉強会「コーチング解体新書」

http://kokucheese.com/event/index/290282/

に参加してきた。ゲストは,大坪タカコーチ。

つくづく自戒を込めて,思ったのだが,コーチングは,

言語化,

されなければ成り立たない。言語化については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163535.html

で触れたことがある。しかし,

人は持っている言葉によって見える世界が違う,

というヴィトゲンシュタインの原則は,生きている。言葉が違えば,見える世界が違う。自分に見えるつもりでも,クライエントには,何も見えない,あるいは,違うものを見る,ということはありうる。しかも,ベイトソンの言うように,

コミュニケーションを決めているのは,送り手ではなく,受け手である,

という。言い換えると,

コミュニケーションは,相手がどう応えるかで,伝えた側の中味が変る,

つまり,同じ言葉で返したとしても,その言葉で見えているものが違えば,受け取り方が変わり,会話は微妙にずれる。まして,それを言い換えたとすると,更に大きくずれるだろう。つくづく,

自分の言葉,

その言葉に見えているもの,

に敏感でなくてはならないと,思う。いや,正確には,常に,自分が言おうとしていることを,別の言葉で言い替えられないほど,ピンポイントで表出する工夫が必要なのかもしれない。コーチは,僕は,

言葉の練達が不可欠,

と思う。少なくとも,自分が何を伝えようとしているかについては,正確を期す努力がいる。コミュニケーションの原則に,

自分の中で何が言いたいかが明確でないことは決して伝わらない,

というのがある,と僕は思っている。その場で即応することが迫られる場合,よほど自分の発語に鋭敏でないと,自分のいつもの(言い回しの)癖が出る。それは,自分にしか見えない世界だという自覚がいるのかもしれない。

僕は,前に,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/417210569.html

でも書いたが,自分の癖らしく,よく,相手の言葉を,

言い換える,
あるいは,
置き換える,

意識している場合も,無意識の場合もあるが,別の言い方に置き換える。それは,いい意味では,

相手の視点を変える,

効果がある。直感も,要約も,フィードバックも,ある意味では,言葉を変える(別の言葉で返す)ことで,言葉の意味するものの微妙な差が生まれる。たとえば,ベン図になぞらえれば,同心円の円が微妙にずれる。

同じ円が,ただスライドする場合もあれば,
円そのものの直径が大きかったり,小さかったりする場合もある,
あるいは,まったく重ならないこともある,

等々によって,自分の意図した意味とずれることで,その隙間に違うものを見る効果である。つまり,見えるものが変ることで,見方が変わる(見え方が変わり,見方が変わる)効果を生む。しかし,それが,お互いが,別のものを見ているという無関係の土俵の上に乗っているなら(あるいはその言葉を使う文脈が共有できていないなら),つまり,円の位相が異なっているとすれば,それは単なる齟齬しか生まず,話が噛み合わないことも起こりうる。

場合によっては,それは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416425472.html

で触れたように,

決めつけられた,

と,相手は,感じるかもしれない。場合によっては,結構傷つく。

言葉には,吉本隆明流に言えば,

指示表出

自己表出

がある。何かを指している場合,コトにしろ,モノにしろ,ヒトにしろ,指しているものの方から,,常識的には推測がつく。その意味では同時代である限り,文脈は共有しやすい。しかし,自分の思いや感情,考えは,同じ言葉を使っているからといって,同じということはない(ことが,意外と多い)。それを避けるには,言い換えて,相手にピンと来るものを探して当てる努力がいる。

それは,逆に言うと,相手自身に言語化してもらうことを,促す,ということでもある。

たとえば,

あなたにとって大切な価値は何ですか,

と唐突に聴かれても,答えが見つからない。自分の価値観を意識的にクリアにしている人は,そうはいない。ならば,

あなたがずっと何年も考え(大切にし)続けていることは何ですか,

と言いかえてもいいかもしれないし,

あなたにとって命に代えても守りたいものは何ですか,

と,少し大げさに言ってもいいかもしれない。たとえば,

頭で考えないで,心で感じる,

と,指示されても,僕自身も時に迷う。そんなとき,

あなたの本音はどうですか,
でも,
そう言ったときの気持ちは不快ですか,どうですか,
でも,
そう言ったときの異和感がありますか,

でも,別の言葉で聴き直せば,相手にとってピンと見えるものがあるかもしれない。

たとえば,

止めているものは何ですか,

と聞かれて自分の心の制動と気づける人は,その言葉になれている人だ。といって,

それを妨げているものは何ですか,

と聞くと,(自分の)外の障害を上げるかもしれない。だから,そういう言い方では,「止めている」ものの言い替えにはならない。

心の中で,それをやめろと言っている人がいますか,
あるいは,
やりたくないという気持ちがありますか,
あるいは,
心の中に嫌がっている感じがありますか,

という言い替えもあるかもしれない。それにしても,言い換えるたびに,ベン図が揺れ動く。この揺れは,相手にはもっと響く。このあたりに鋭敏になりたい気がしている。,








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 06:09| Comment(0) | コーチング | 更新情報をチェックする
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