2015年05月23日

個展


先日,自分の都合で,二ヶ所の個展に伺わせていただいた。

ひとつは,『長濱恭子展 KYOKO NAGAHAMA-汽水域 brackish water-』

http://kyokonagahama.jimdo.com/%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

いまひとつは,『江角健治個展』

https://www.facebook.com/events/1448965842064560/

それぞれについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/409519858.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/397355525.html

で,以前に触れたことがある。

両方を拝見して,今回,考えさせられることは一杯あったが,最近とみに考えているのは,

丸め方,

である。表現するということは,現実を,

どう丸めるか,

ということである。リアルに見える写真だって,視角とフレームで,いかようにも見え方を丸められる。何かをしゃべることだって,思いであれ,描写であれ,意識していないかもしれないが,我流の丸め方をしているはずだ。

表現者は,独自の丸め方,つまり,

現実の捉え方

その表出方法

を工夫する。表現者は,たぶん,終生それを工夫し続けるのだろう。どう丸めるかに,その人なりの方法論がある。

別の言い方をすると,

現実との距離感の取り方,

と言い換えてもいいかもしれない。

長濱さんの作品は,いずれも,僕は好きな色遣いで,特に「潮」シリーズの青と,地衣をモチーフにした「樹紋」シリーズの,たとえば,案内ハガキにある「#065」,

http://kyokonagahama.jimdo.com/%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%AE%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/

の落ち着いた色調が,好きである。 しかし面白いのは,地衣というリアルの,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%A1%A3%E9%A1%9E#mediaviewer/File:Kajyoutii.jpg

から,丸めて表現した世界を,上記の「#065」では,

木板

に書く,という丸め方,樹木を這う地衣になぞらえて,木板に書く,という距離の取り方が,何とも言えず興味深かった。距離をリアル側に(樹皮に這う菌類だから木に)写したのではない。地衣をモチーフら描いた「樹紋」という絵の世界の表現の仕方として,木板に描いてみた,という丸め方の面白さである。

他方,「樹紋#025」は,地衣から離れた(かなり丸めた)抽象画になっていて,この両者の丸め方を見ると,意識的に取っている,というのを感じさせた。

もう一つ気になったのは,メモが間違っていなければ,だが,

「潮」#025

で,「潮」シリーズにはなっているが,「樹図」#001,#002との境界線にある感じで,この丸め方は,位置として面白い,と感じた。

距離の取り方というのは,観る側は,完成作品と現実との距離を取るが,多分作家の中では,自分の捉えた現実と描こうとしている世界との両にらみなので,次の世界が,描こうとする世界の背後から,あるいは,その先に透けて見えて,描いた世界と地続きで引き出されてくる,そんな感じではあるまいか,と想像する。

江角展は,いつもの独自の丸め方なのだが,今回,タイトルの丸め方と,書かれた絵の世界の丸め方とのギャップに引っかかった。

たとえば,「夜の守衛所」「お散歩日和」「象のレストラン」というタイトルは,描かれた世界が醸し出す,ひとつの世界を丸めた言葉で表現しているが,「ブリキの小屋」「トタンの工場」は,言葉の丸め方が,絵が現実を丸めたレベルとは少し違いがある。「登る家」「寄りそう」「聖者の道」が,その中間という印象である。

言葉の丸め方の違い,という言い方は正確ではないかもしれない。

タイトルをどうつけるのかは,僕にはわからないが,仮に,描いた世界(あるいは描きつつある世界)に,名づけるのだとすると,その名づけが,作家の見た現実の方に引っ張られている,その引っ張られ具合なのではないか,と思う。

別の言い方をすると,絵が,モチーフはリアル世界の建物としても,画布の中に,ひとつの世界を描いている,あるいは,ひとつの(虚構の)物語と言い換えてもいいが,それなのに,その非現実の世界に,まだ現実の建物のイメージを引きずったタイトルになっている,という感じなのである。事実は知らないが,僕には,そう見える。ま,そのくらい,タイトルが,絵の世界をリアルの方に引き戻している,という印象である。

せっかくおとぎの国っぽくしたのに,八百屋とタイトルを付けた,というと,僕のイメージが伝わりやすいだろうか。あるいは,意識的に,そのギャップを狙い,先日観たマグリットのような,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418482700.html

タイトルと絵世界両者の葛藤自体がひとつの世界ということもあるのかもしれないが。

随分昔,絵は,時間が描けない,と妄言を履いたことがあるが,今はそうは思わない。ダリの「記憶の固執」のような表現もあるが,ときを刻むだけが時間ではない。その直前までの動きが,一瞬止まった,

「定休日」

というような表現の仕方もあるし,

「夜の守衛所」

のような,点る灯りに,時間を感じこともできる。







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:35| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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