2015年06月02日
をこ
「をこ」,つまり,現代表記で,「おこ」は,
痴
烏滸
尾籠
という字を当てるらしい。
愚かなこと。ばかげていること。またそのさま。
という意味になる。柳田國男は,
「人を楽しませる文学の一つに,日本ではヲコといふ物の言ひ方があった」
「人をヲカシと思わせるのが,本来はいはゆる嗚呼の者」
等々といったいるらしい(「鳴滸の文学」)。だから,「嗚呼」とも「鳴滸」とも当てるらしい。『古語辞典』を見ると,
ウコ(愚)の母音交替形,
とある。で,「うこ(愚)」をみると,
ヲコ(烏滸)の母音交替形,
とある。なんだか,同義反復のようだが,「をかし」との関係が,気になる。「をかし」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/418220586.html
で触れたが,そこで,『古語辞典』に,
「動詞ヲキ(招)の形容詞形。好意をもって招きよせたい気がするの意。ヲキ(招)・ヲカシの関係は,ユキ(行)・ユカシ,ヨリ(寄)・ヨラシ(宜,ヨロシとも)ナゲキ(歎)・ナゲカシの類。ヲカシをヲコ(愚)の形容詞化と見る説もあるが,平安中期以前のヲカシの数多くの例には,ヲコ(愚)のもつ道化て馬鹿馬鹿しく,あきれて嫌に思う気持ちの例はなく,むしろ好意的に興味をもって迎えたい気持ちで使うものが多い」
とある。「をかし」の語源を,
「ヲコ(愚)の形容詞化」
という説を,そのとき,スルーしてしまったが,柳田國男の説を鑑みると,
動詞ヲキ(招)の形容詞形,
という方が,むしろ,もっともらしく見えなくもない。しかし,語源に言う,
古代語「ヲク(招・呼)」+シ(形容詞化)
で,思わず笑みがこぼれる心的状態になることをいう,とある。「平安時代の造語」とあり,
知的感動がある,
趣きがある,
という意味になる。始め,「をかし」は,滑稽の意味ではなく,
「あはれ」の対象に入り込むのとは異なり,対象を知的・批評的に観察し,鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣,
と,「あはれ」と対比して使われていたことを考えると,確かに,「をこ」から出たとするのは,「をかし」が,「可笑し」と当てられるような意味に変じてからの,後講釈に見えてくる。
「をこ」自体の語源は,
「ヲコ(蕃人の愚かな風俗)」
だとされている。「烏滸」が,
後漢時代の中国で,黄河や揚子江に集まるやかましい人たちを指していた,
とされる(http://gogen-allguide.com/o/okogamashii.html)
ので,それによると,
「やかましいことを烏に喩え,水際を意味する『滸』から『烏滸』と当てた」
という,中国由来のようだ。「尾籠」は,当て字で,鎌倉時代以降につかわれ,それ以前は,(柳田國男の当てていた)「嗚呼」が使われていた,という。それを「びろう」と音読して,和製漢語に変じた,という。当然意味も,
無礼,不敬,
汚く,汚らわしくて,人前では失礼にあたること,
と変じた。だから,現在,「おこ(烏滸)がましい」は,
出過ぎている,差し出がましい,
という意味で使われているが,本来は,
「オコ(愚か)+がましい」
で,
ばかげている,物笑いになりそうだ,
という意味だったらしい。ただ,ウィキペディアを見ると,「烏滸」で,
『記紀に『ヲコ』もしくは『ウコ』として登場し、『袁許』『于古』の字が当てられる。平安時代には『烏滸』『尾籠』『嗚呼』などの当て字が登場した。』
として,こうある。
「平安時代には散楽、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。後に散楽は『猿楽』として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが、『新猿楽記』に描かれている。『今昔物語集』や『古今著聞集』など、平安・鎌倉時代の説話集には烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられている。また、嗚呼絵と呼ばれる絵画も盛んに描かれ、『鳥獣戯画』や『放屁合戦絵巻』がその代表的な作品である。」
とあり,烏滸芸,烏滸話,嗚呼絵,とあるのが,どうやら,冒頭の柳田國男の「鳴滸の文学」に言うことで,そこには,
「是はただ単にをかしいことばかり言って,人を笑はせようとした者のことであって当人自らは決して馬鹿ではなかった」
とある。芸なのであるから,当然である。しかし,烏滸絵については,
「男女の秘戯を描いた絵。古くは〈おそくず(偃息図)の絵〉〈おこえ(痴絵,烏滸絵)〉といい,〈枕絵〉〈枕草紙〉〈勝絵(かちえ)〉〈会本(えほん)〉〈艶本(えんぽん)〉〈秘画〉〈秘戯画〉〈ワじるし(印)〉〈笑い絵〉などともいう。」
とあるので,意味が転じていった結果なのかもしれにない。それは,
「南北朝・室町時代に入ると、『気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な』(『日葡辞書』)など、より道化的な意味を強め、これに対して単なる愚鈍な者を『バカ(馬鹿)』と称するようになった。江戸時代になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった。」
とある,「烏滸」から「馬鹿」に変じたことと重なるのかもしれない。
で,滑稽との対比が気になってくる。「滑稽」は,
「(『滑』は乱,『稽』は同の意。知力に富み,弁舌さわやかな人が巧みに是非を混同して説くこと,また『稽』は酒の噐の名,酒が器から流れ出るように弁舌の滞りのないことともいう)」
と注記があって,
面白おかしく,巧みに言いなすこと,転じて道化,諧謔,
馬鹿馬鹿しく,おかしいこと,
という意味になる。語源は,
「滑(なめらかに)+稽(はかる)」
という中国語が語源。で,
「滑稽(こっけい)は、中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語であり、当時は、饒舌なさまを表した。後世、転じて笑いやユーモアと同義語として日本にも伝わり、滑稽本などを生んだ。
一説には、滑稽の語源は、酒器の一種の名であり、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになった、という(北魏の崔浩による『史記』等の注釈に見える)。」
と,ウィキペディアにはある。どうやら,「烏滸話」が「滑稽本」になったのではなく,「烏滸」が,「馬鹿」に堕していくにつれて,「烏滸話」は下ネタになっていったように思える。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください