先日,第75回ブリーフ・セラピー研究会「平木典子先生の『私とカウンセリング』」に伺ってきた。
1.なぜカウンセラーになろうと思ったのか?
2.カウンセラーとして、過去に経験したカベ
3.そのカベをどのように克服したのか?
4.影響を受けた考え方や理論
5.カウンセラー、セラピストとして大事なこと
と,ご自身の来歴を,こんなに率直に語られる方も,珍しいと思う。最後のところで,ロジャーズの,
共感的理解
受容
自己一致,
のうち,自己一致,あるいは,
ジェニュイン(genuine),
平木先生ご自身の訳では,
邪気のない,
あるいは,
本物の,
あるいは,
ありのままの自分でいること,
となるが,ご自身は,
ざっくばらんの人,
というのが近いと言われるが,それについて,ロジャーズが,
最終的にこれさえあれば,
と言っていたのが,最近(「歳をとったせいもあるが」)よく分かる,と言われた。そのままの話しぶりであった。言ってみると,素手で,この国のカウンセリングを切り開いてこられた,そのもとになる考えは(前にもうかがったが),留学先で,
Vocational counseling
に出会われたことだと思う。それは,vocationが天職という意味で,単なる職選びではなく,
生き方のカウンセリング,
あるいは,
その人らしく生きるのをどう助けるか,
だというところに,カウンセリングというもののアンカリングをされているという,先生の軸の再確認でもある。そのころ,
(その意味では)「専業主婦も天職だ」と思った,
という言葉が印象的であった。その観点から見ると,例の(ランバートLambert, M. J.の論文に端を発した),
セラピー以外の要因 40%
クライエント-セラピスト関係 30%
セラピーの技法 15%
プラシーボ効果 15%
の,セラピー以外,つまり,クライエントの潜在能力につながっていくような気がする。
ちょうど70~80年代のセラピー理論噴出(400を超える)の時期,一方でTA,REBT,精神分析,ゲシュタルト,Tgroup等々と数々の理論と技法を学ばれながら,その間学校でのカウンセリングの実践での手探りの格闘を続ける中で,(クライエントの背後にある)家族との関わりを痛感されて,家族療法を学ぶために再度渡米され,その後も,つい先年オーストラリアへナラティヴ・セラピーを学びに出かけられるなど,精力的に,なお研鑽しつづけられ,いま,療法の統合と社会構成主義(social constructivism)に立っておられる。
冒頭で,
「キャリアをつくるというのは,生まれたときからの自分を辿ってみると,自分のキャリアにつながる。」
あるいは,
「だれもが自分の物語を生きている。自分をつくりつづけることをやりつづければ,自分の物語になる。」
と言われた言葉がそのまま物語とキャリアになっておられる,と感嘆させられた。
いま,社会構成主義の立ち位置から,
「その人がその人らしく生きるのを手伝うとはどういうことか」
という問題意識から,
Self-construction
つまり,自分をどうつくっていくか(どうつくってきたか),という
自己構成,
のためのagent(「企画体」と訳しておられる)になれ(つまり,自立的に助ける人になれ),というところに到達されている。ただ,それを今流の,
自分探し,
という自己完結した世界に収める発想はない。クライエントを手助けして終わりではない,という意味で,
Change-agent
という表現が印象的だ。家族療法という言い回しを,いま世界はしない。
システム療法,
あるいは,
システミックセラピー,
と呼ぶそうだが,人を自己完結した,個として見るのではなく,システムあるいは関係性の中で見る。
人は関係性のなかでしか生きられない,
のである。だから,ひとりのクライエントが変るということは,
その人が変ろうとすることでシステムが動き,変化したから変わった,
と見る。とすると,その人が変ることで,その人の所属するシステム(家族であったり,会社であったり)は,小さな漣(変化)が起こる(かもしれない),ということだ。
「カウンセラーにはそんなことはできない,と思ったら何もできない」
という言葉は重い。クライエントの背後の家族を,組織を想定した,広い視野のなかに置く(カウンセリングの)視点でしか,そういう発想は出てこないだろう。それは,
ほんの小さな動き,
だとしても,そういう意図で関わる,というカウンセラーの覚悟というものを垣間見させていただいた。
参考文献;
平木典子『新版 カウンセリングの話』(朝日選書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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