老いさらばえる


老いさらばえるを引くと,

老いさらぼう

から転じたとある。「老いさらぼう」を引くと,

歳をとってよぼよぼになる,
甚だしく老衰する,

とあり,

むく犬の老いさらぼひて,

という『徒然草』の文言が,引用されている。しかし,僻目で言うのではないが,

よぼよぼになる,

までは,描写なのでまだ許せるが,

年をとってみすぼらしくなる,

となると,ちょっと反撥を感じる。それは,視る側の,加齢に対する価値判断だろう,と。ま,それはさておき,

さらぼう,

は,「曝(さ)る」から来ている。

雨露にさらされて骨だけになる,
痩せ衰える,

という意味である。『大言海』には,

「さら」は,曝(され)の転。賓客(まれびと),まらうど。何(いづ)れ,いづら。
「ばふ」は,形状を言う語。散りばう,よろばう。

とある。実にわかりやすい。語源は,したがって,

「オイ(老ゆ)+サラボウ(風雨に曝される)」

で,「年を取ってみじめな姿になること」らしい。どうやら,「老い」は,和語では,

惨めで,
みっともない,

ものらしいのである。「老い」の語源は,

「老ゆ」の連用形,

から来ているが,「老ゆ」の語源は,

「大+ゆ」

で,「自然に経過してそうなる,であろうとされている,という。因みに,上代語「ゆ」の語源は,

経過する,

の意味である。~を通って,の意味となる,とある。

「老」の字は,

年寄りが腰を曲げて,杖を突いたさまを描いたもので,

からだが固くこわばった年より,

を指す。しかし,「老」の意味は,中国語では,老いる,老ける,という意味だけでなく,

長い経験をつんでいるさま(「老練」)
老とす(老人と認めて労わる,「老吾老,以及人之老」)
年を取ってものをよく知っている人,その敬称(「長老」「古老」)
親しい仲間を呼ぶとき(老李,李さん)

といった意味があり,貧しい日本の,姨捨伝説とはちと違う。「曝」という字は,「暴(ぼく・ぼう)+日」だが,「暴」は,

「目+動物の体骨+両手」の会意文字

で,「動物の体を両手でもって日光に当てるさま」

という。「曝」は,さらに「日」を加えて,面を外に出す意を含む,という。「暴」の俗字。「共」は,

「上部はある物(「甘型)の形,下部に左右両手でそれを捧げ持つ姿を添えたもの」で,「供」(両手で捧げる)の原字。

日に曝される,ということなのだろう。皺も増えるわけだ。「老い曝(さらば)う」以外にも,似た言い回しは,

老い歪む,老い朽ちる,老い果てる,老い屈まる,老い耄れる,

等々あるが,ろくな言葉はない。「おゆ」に「老」を当てて初めて,

年ふる,

の「ふる」は,旧るを当てる。

古くなる,
年を経る,

という意味だ。「故」「「古」も当てる。だから,

故(もと)なること,

という意味もある。「古い」は,だから,

「フル(歴・経)+シ」

で,歴史を経た,という意味になる。

新しいものを有り難がり,若さ(あるいはロリコン好みとも言う)を尊ぶ風潮に,妬くわけではないが,それは,年経た年月をなかったことにするに等しい。そのせいか,戦後僅か70年で,積み重ねたものが消滅しようとしている。GDPで測ればいいというものではないが,それに合わせて,今や大卒初任給は,アジアで,シンガポール,韓国の下に行く。70年に一体何を蓄積したのだろう。日本文化の層は,増えたのだろうか。未だに北斎しかない,ということはないだろうね。

老い先よりは,生い先を考えるのは,悪いことではないが,長いタームで見ていたとは到底思えない,そんな昨今の風潮である。







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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