2015年06月13日
けんもほろろ
けんもほろろ,
は,
無愛想に人の相談などを拒絶するさま,
取りつくすべもないさま,
という意味であるが,
いずれも,「雉の鳴き声」を語源にしている。たとえば,
「その鳴き声『けんけんほろほろ』が無愛想に聞こえることから」(『古語辞典』)
「『けん』も「ほろろ」もキジの鳴き声。それと『慳貪』をかけたものか」(『広辞苑』)
「『けん』も『ほろろ』も,擬態語。キジの鳴き声や羽音を,けんつく,つっけんどんにかけた語」(『語源辞典』)
「慳貪なるを,けんけんというを,雉の鳴声の,けんけんほろろに寄せたる語。もには意なき感動詞。つれもなし,らちもないの類」(『大言海』)
最後の『大言海』が,さすがに言い尽くして,漏れがない。
異説に,
「『けん』『ほろろ』はともに雉(きじ)の鳴き声。あるいは「ほろ」は「母衣打(ほろう)ち」からか。また、『けん』は『けんどん(慳貪)』『けんつく(剣突)』の『けん』と掛ける」(『デジタル大辞泉』)
の,「あるいは『ほろ』は『母衣打(ほろう)ち』からか」がある。「母衣打(ほろう)ち」は,
(「保呂打ち」とも書く)キジやヤマドリなどが翼を激しくはばたかせ、音を立てること,
とあるので,やはり雉がらみである。そのながれで,「つっけんどん」は,
とげとげしい,無愛想,
という意味だが,語源は,
「つっ(突,接頭語)+慳貪(無慈悲)」
となる。「慳貪」は,
ものを惜しみむさぼること,
情け心のないこと,愛想のないこと,邪慳,
である。「突」は,「つい」と音便化したりするが,突っ伏す,突っ張る,突っぱねる,突っ走る,突っ放す,突っ突く,突っ込む,「突」で,思いがけず,という意味と(「つい」と音便化する),「勢いを付ける」「ものともせず突き進む」という意味を強化しているように見える。
「着く」「付く」と同源で強く力を加えると,「突く」となる,
とある。それは,漢字の意味によって差が出ている,という。「突」が,
穴から突然犬が飛び出すさま,
を意味するので,突発性というニュアンスが込められている,ようである。
昔,ある先輩の口癖て,
けんもほろほろ,
取りつくヒマもない,
というのが耳に残っている。口伝えで記憶すると,そういうことはある。
「けんもほろろ」の類語には,つれない,冷淡,冷ややか,よそよそしい,他人行儀,そっけない,といったもののほかに,結構気になる言葉が多い。たとえば,
取りつくしまもない,
にべもない,
そっぽを向く,
すげない,
鼻にもひっかけない,
木で鼻をくくったような,
つっけんどん,
そっけない,
等々,「そっぽを向く」は「外向を向く」だし,「そっけない」は,「素気なし」と書くから,まあ,わかりやすいが,そっけないに似ている,「すげない」は,いくつか説がある。
「スガナシの変化,ヨスガナシ・ヨルベナシ(因所無)の意」とするもの(素気ないは,「すげない」の当て字を「そっけない)と読んだところから出た),(『大言海』『語源辞典』)
「スは接頭語。ケは気,ナシは無し。力を添え合うべき間柄にあっても反応せず,相手に手を貸さず,情をかけない意。類義語,つれなしは,無関係,無関心であること」(『古語辞典』)
その「つれない」は,関係性そのものがないこと,あるいはそういうそぶりという意味になるが,これには,いくつか説がある。
「『連れ無し』の意。二つの物事の間に何のつながりもないさま」
「『つれ(方言,仲間,友)+なし』で薄情の意。
「関係性」そのものがない(あるいはない素振り)を指しているので,「相手にしない」という対応の仕方とは,確かに『古語辞典』の言う通り,「つれない」だけは,「けんもほろろ」の類語ではあるが,「そっけない」「けんもほろろ」とは,微妙に違う。
同じ類語で,「取り付く島がない(もない)」というのは,
相手がつっけんどんで話を進めるきっかけがみつからない,
という意味だが,辞書には,
(「し」と「ひ」の混同から)「取り付く暇がない」は誤った言い方,
とあるところをみると,結構誤用があるのだろう。語源は,
「とりつく(たよりすがる)+しま(島)+ない」
であるらしい,「溺れかけている」という状態に準えて,
「頼りにしてすがる島さえない」
の直訳,とある。「島」は、頼れるもの,よりどころを表すらしい。「島(嶋,嶌)」は,
「渡り鳥が休む,海の小さな山,つまり島のこと」
という意味で,そのものずばりだろう。あるいは,別に,
「航海に出たものの,近くに立ち寄れるような島はなく,休息すら取れない」といった状況のこと,
で,困り果てる様子にたとえていう,とあるが,うがちすぎかもしれない。。
最後に,もうひとつ,「にべもない」
鰾膠(にべ)も無い,
と表記する。「にべ」は,
にべ科の海魚,にべの浮き袋でつくる,粘着力の強い膠のこと。にべの浮き袋は,粘りっ気がつよい。その粘着力から,人との親密関係になぞらえられた。で,
にべもしゃりもない,
等々といった使い方もするようだ。
こう見ると,いかに,自然や周囲の道具になぞらえた表現が多いかがわかる。言語表現は,
現実や現実生活を丸める,
ところから生まれる。現実が,自然や生活感を薄めると,言葉が,単純化し,
やばい
や
かわいい
でなんでも代用する。それは,作り上げてきた日本語が,先祖がえりしていることかもしれない。言葉は,現実を写す,ということから言うと,我々は,いま,幼児化しつつある証かもしれない。
参考文献;
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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