2015年06月17日

ちゃんちゃらおかしい


「ちゃんちゃらおかしい」とは,

身のほど知らずで,噴き出したくなるほどおかしい。笑止千万だ。まったく滑稽だ。

といった意味だが,

チャンチャラ可笑しい
とか,
チャンチャラおかしい,

と表記したりする。

昨今,ちゃんちゃらおかしいことが目白押しだ。まあ,冥途の土産に見物させてもらうのも悪くはないが,平知盛ではないが,

「見るべきほどのことは見つ」

とはまだまだ言いかねる。かほどに,無恥な時代は,近代以降でも珍しい。

僕は個人的には,明治以降,どういうわけか,日本人は夜郎自大になった,と思っている。徳川時代は,もう少し謙虚であった。幕末維新を通して,尊攘派には,そういう気質は垣間見えた(桂小五郎辺りが征韓論を口走っている),かれらは僥倖にも,天下を取ったが,天下を動かせる知性も見識もなく,西欧猿真似の列強指向に奔り,それにつられて,まるでおのれが西洋人にでも成ったように,列強の尻尾にぶら下がって,アジアを見下し植民地化し,いつの間にか(多くが雪崩をうって)夜郎自大に成り下がったとしか思えない。

海舟と小楠には,日韓清の三国で連携して,西欧列強に対抗しようとする,まっとうな見識があったが(隆盛もそれを承知していたと思う),しかし国を挙げて怒涛のように列強猿真似の脱亜入欧へ突き進み,いってみれば列強の真似をして植民地のおこぼれをあさる餌につられたとしか思えない。僕は,敗戦は,西欧列強の猿真似の結末だったと思っているが,一旦,戦後消えた,その心性が,またぞろ結界の隙間から抜け出て,おのれを縛ってきたはずの結界自体を破って自儘になろうとしている,と見える。

海舟は,独特の自慢が入っている臭みはあるが,

「日清戦争はおれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか。たとへ日本が勝ってもどーなる。支那はやはりスフィンクスとして外国の奴らが分らぬに限る。支那の実力がわかったら最後、欧米からドシドシ押しかけてくる。つまり欧米人が分らないうちに、日本は支那と組んで商業なり工業なり鉄道なりやるに限るよ。
 いったい支那五億の民衆は日本にとって最大の顧客さ。また支那は昔時から日本の師ではないか。それで東洋の事は東洋だけでやるに限るよ。
 おれは維新前から日清韓三国合従の策を主張して、支那朝鮮の海軍は日本で引受くる事を計画したものさ。」

と,『氷川清話』で述べている。

まことに,夜郎自大な連中の言う,

美しい日本,

まっとうな国,

というのは,猿真似日本の時代を指していて,ほんとに,ちゃんちゃらおかしい。よほどおいしい思いをしたのに違いない。愛川欽也が,

「石原裕次郎のうちは新興成金の特権階級だったから、戦時中でも飢えることなく汁粉とか食べていたと言うので、殴りたくなった」

と言っていたそうだが,そういう美味しい思いが忘れられない,ということではないのか。

ちゃんちゃらおかしいのニュアンスは,意味は確かに,

非常に滑稽だ,
笑止千万,

だが,

噴飯もの,
とか
失笑もの,

といったニュアンスとは少し違う。相手のおろかしさや,滑稽さに,笑う,ということは笑うのだが,おかしな振る舞い,言い方そのものを指しているのではないのではないか。

臍が茶を沸かす(臍で茶を沸かす)
とか
片腹痛い
とか
笑止の沙汰
とか
狂気の沙汰
とか,

が近い。

「臍が茶を沸かす(臍で茶を沸かす)」は,

「おかしくてたまらないこと、また、ばかばかしくてしようがないこと。多く、あざけっていう場合に用いる」

とあるが,「あざけって言う」のところが味噌なのだろう。

「片腹痛い」は,

「傍ら(かたはら)+いたし」

で,「傍ら」を片腹の意に誤ったことから起こった。

「身のほど知らずな相手の態度を笑い飛ばす」

という意味で,「笑止」のニュアンスは,近いかもしれない。「笑止」は,

「笑止は当て字で,『勝事』の転で,本来,普通でないことの意」

であり,本来の意味は,

大変なこと,
困ったこと,
気の毒なこと,

で,そこに,室町以降「笑うべきこと」が加わった,という感じである。その結果,

恥ずかしく思う,

という含意が影のように付きまとう。「勝事」は,

人の耳目を引くような事柄
奇怪なること,

と出ている。『大言海』は,

(笑いも止まる意かと云う)他人の人笑いとなることを,気の毒に思うこと,

とある。「ちゃんちゃらおかしい」には,そのニュアンスがある。片腹痛い,と苦笑しつつ,やがて,

「我が身の上に気の毒なること」

と,そのつけが,まわてくることまでも予想する,ぞっとしない可笑しさのような気がしてならない。

「私は、憲法の法理そのものについて学者ほど勉強してきた、というつもりはない。だが、最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。」

と自民党副総裁高村氏。ちゃんちゃらおかしいが,しかし,背筋がぞっとする。笑っていられない恐怖である。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:11| Comment(0) | 政治 | 更新情報をチェックする
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