曲学阿世(きょくがくあせい)とは,
「学問の真理を曲げて、世間や権力者に気に入られるような説を唱え、こびへつらうこと。」
とある。中国語の,
「学を曲げて,世に阿る」
から来ている。ときの権力に媚びへつらい,学問を歪めることを指す。
「漢の時代、漢の武帝に召し出された轅固生が、儒学者の公孫子に言ったことば」
が由来とされる。『史記・儒林列伝』に,
「公孫子、正学を務めて以て言え、曲学以て世に阿る無かれ(公孫子よ、正しい学問に励んで、はばかることなくありのままを言いなさい。学問を曲げて、世にへつらうべきではない)」
とあるそうである。
「学を曲げて世に阿る」
まあ,
「学問の真理にそむいて時代の好みにおもねり、世間に気に入られるような説を唱えること。真理を曲げて、世間や時勢に迎合する言動をすること。」
となる。これが話題になったのは(http://showa.mainichi.jp/news/1950/05/post-7820.html),
「(1950年)連合国と日本が講和を結ぶ際に、国連中心の全面講和とするか、ソ連不参加の単独講和とするか国論が分かれた。東大の南原繁総長が全面講和論を説いたのに対し、吉田茂首相は自由党両院議員総会で、『南原総長らが主張する全面講和は曲学阿世の徒の空論で、永世中立は意味がない』と非難した。」
の経緯による。今日の安保をめぐる経緯と似ているところ(政府が学者を非難する)と,似ていないところ(憲法学者149人中3,4人しか合憲と言わない)と,比較すると,政府及び政治家の劣化がよくわかる。
吉田首相は,
「永世中立とか、全面講和などというのは、言うべくして到底行われないことだ。それを南原繁東大総長などが、政治家の領域に立ち入ってかれこれ言うことは曲学阿世の徒で、学者の空論に過ぎない」
と切り捨てた。南原総長は,
「学問の冒涜、学者に対する権力的強圧以外のものではない。全面講和は国民が欲するところで、それを理論づけ、国民の覚悟を論ずるのは、政治学者としての責務だ。それを曲学阿世の徒の空論として封じ去ろうとするのは、日本の民主政治の危機である」
と,反論した。世論(民意)に反してでも為遂げようとする吉田の意志は,一体誰のための政治なのか,南原の方にはるかに分がある。しかし,今日の為政者の姿勢と比べれば,学者と政治家が真正面から対峙しているだけ,はるかにましな気がする。
しかし,今日,ジャーナリズムは幇間と化し,実は世論は無関心,むしろ,衆院憲法審査会で,参考人質疑に出席した,
自民推薦の長谷部恭男・早大教授,
民主党推薦の小林節・慶大名誉教授,
維新の党推薦の笹田栄司・早大教授
の3人が揃いも揃って,「憲法違反だ」とし,
「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか。従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす」(長谷川氏)
「憲法9条2項で、海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」(小林氏)
「従来の内閣法制局と自民党政権がつくった安保法制までが限界だ。今の定義では(憲法を)踏み越えた」(笹田氏)
と,答えた,とされる。そこから,違憲論の風向きが起きたのであって,吉田「失言」事件とはちょっと違う。
面白いのは,それを受けた,菅義偉官房長官が,
「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」
と,政府側の立場の学者がいることを挙げた,ということだ(吉田のように,曲学阿世の徒とは罵らず,援軍があると言ったところだ。援軍なしに対峙する気概も器量も無いらしい)。
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/info/enquete/index.html
にもあるように,ほとんどの憲法学者が違憲とする中で,合憲とするのは,
百地章日大教授
西修駒沢大名誉教授
長尾一紘・中央大名誉教授
の三氏で,そろいもそろって,
「政府の徴兵制に関する解釈は、およそ世界的に通用しない解釈」(西氏),
「意に反する苦役に当たるという議論には反対」(百地氏)
「徴兵の制度と奴隷制、強制労働を同一視する国は存在しない。徴兵制の導入を違憲とする理由はない」(長尾氏)
と徴兵制すら合憲としている。どう論旨をつなげたら,徴兵制が憲法の文意に叶うのだろうか。この手のお先棒担ぎを,
曲学阿世,
と言わずして,誰をいうのか。こうした幇間学者ではだめと思ったか,最後は,高村自民党副総裁は,
「私は、憲法の法理そのものについて学者ほど勉強してきた、というつもりはない。だが、最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。」
と言ってのけた。都合が悪くなると,学問など知ったことが,俺は政治家だと,言っている。しかし,誰のための政治なのか。この国も国民も,こういった政治家の玩具ではない。国民を生贄にして,何を得ようとするのか。彼ら自身は,決して死地へは赴かない。修羅場をくぐる経験もしないだろう。こんな輩は,今までの戦後史でも見たことがない。ツイッターに乗った写真が辛辣である(出典がわからないが,失礼ながら転載せさせていただく)。
鳥越俊太郎氏は,
「こんな酷い政権はこれまでなかった。国民の声を無視して独裁政治をする。アドルフ・ヒトラーと同じじゃないですか。わたしはアドルフ・アベ政権と呼んでいる。アドルフ・シンゾーが耳をふさいでも届くように全国から皆が集まって声をあげる必要がある」
と述べた。その気持ちがよくわかる。
参考文献;
http://blog.kajika.net/?eid=997775
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