べらぼう


「べらぼう」は,

箆棒

と当てるが,

便乱坊,
可坊,

とも当てる,らしい。

並はずれてひどいこと。程度がひどいこと。はなはだしいこと。また、そのさま。
筋の通らないこと。普通では考えられないようなばかげていること。また、そのさま。
人をののしっていう語。たわけ。ばか。

といった意味に使われているが,この語源が,諸説ある。

「薄弱萎軟,竪立てせぬを,へらへらとも,べらべらとも云ふ。延宝(1673~81)の頃,大阪に可坊(べきぼう)と云へる異相の男ありきと云ふ。或いは箆棒の義,穀潰の意なりと云ふは,如何か」(『大言海』)

「寛文(1661~73)末頃,見せ物となった畸人。頭の先が尖り,赤くまるい目,猿のような頤,全身真っ黒で愚鈍な感じであったという。」(『古語辞典』)

「寛文(1661~73)年間に見世物に出た,全身まっくろであたまがとがり眼は赤く丸く,あごは猿のような姿の人間。この見世物から『ばか』『たわけ』の意になった。」(『広辞苑』)

「語源は,『箆+棒』です。穀潰しにしか役立たぬものの洒落です。ベランメイ(箆のものの変化)も同じ語源です。相手を罵る語です。転じて,大変の意です。別に異説として,江戸時代の奇人便乱坊(全身黒く,頭が尖り目が赤く丸い)に由来するという説がありますが,罵る意味が薄く,疑問に思われます。」(『語源辞典』)

「べらぼうとはもともと『あほ』や『ばか』という意味で江戸時代から使われていた。これが転じ、『程度が尋常でないこと』という意味で使われるようになる。また、べらぼうが『あほ』や『ばか』という意味から、そういった出来事や人、言動を罵る言葉としても使われる。ただしこの場合、語意を強める接尾語『め』をつけたべらぼうめや、ここから転化したべらんめえ(べらんめい)のほうが使用度が高い。」(http://zokugo-dict.com/29he/berabou.htm

「べらぼうは,漢字で『箆棒』と書くが当て字。語源は,寛文年間(1661~73年)の末頃から,見世物小屋で評判になった奇人に由来する。その奇人は全身が真っ黒で頭がとがり,目は赤くて丸く,あごは猿に似て非常に容貌が醜く,愚鈍なしぐさで客を笑わせていた。
奇人は『便乱坊(べらんぼう)』『可坊(べくぼう)』と呼ばれていたことから,『馬鹿』や『阿呆』の意味で『べらぼう』という語が生まれた。
やがて,人を罵る言葉は普通でない者に用いられることから意味が派生し,程度がひどいことや筋の通らないこととして使われるようになった。
一説には,江戸中期の『牛馬問』に,『阿房らしきことをべらぼうと隠語す。これは下賤の時花言葉(はやりことば)なれども今は通用の語となる』とあることから,博打用語を語源とする説もある。しかし,博奕用語の『べらぼう』が『阿房らしき事』をいみするようになった経緯は不明で,奇人の話よりも後の書物であるため語源としては定かではなく,この語が一般に広く使われるまでは,博徒のあいだで使われていたと考えるにとどまる。」
http://gogen-allguide.com/he/berabou.html

その他,見世物小屋についての説明にも,

「まず京都の四条河原がその発祥地として,すでに慶長期(1596‐1615)ころには蜘舞,大女,孔雀,熊などの見世物が,歌舞妓や人形浄瑠璃などにまじって小屋掛けで興行していた。籠抜,枕返し,からくりなどが寛文期(1661‐73)の前後に流行し,そのころ〈べらぼう〉という言葉の語源になった〈べらぼう(べら坊,可坊)〉という畸人の見世物もかかった。享保期(1716‐36)以後には曲馬,女角力(おんなずもう),綱渡りなど,宝暦・明和・安永期(1751‐81)には火喰い坊主,蘇鉄(そてつ)男,馬男,曲独楽,曲屁(きよくへ)福平,女力持,エレキテル,鬼娘,飛んだ霊宝,ビイドロ細工,曲鞠などが行われた。…」

と,「可坊」が例として出ている。確かに,そういう見世物があったのかもしれないが,ちょっと「べらぼう」との関連では,異和感がある。で,少しさらに調べてみると,五街道雲助という噺家の,

http://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/otosi.html#chapter32

『落とし噺演題』という中に,見世物小屋説について,

「三馬の『浮世床』などを読んでも『こんべらばぁ』などとのべつに江戸っ子の口から出てきて、べらぼう=江戸弁のような言葉が上方の見世物から出ているとはどうも思い難い。」

といった感じを懐いている中で,「 川柳大兄(川柳川柳師匠のこと?)と楽屋でこの話をして」いて,

「オレのがきの時分に、ウチの方でね(因みに川柳師匠は秩父の山間の生まれ育ちです)あの便所のさァ、もちろんその頃だから汲み取りのやつでさ、あれ糞が溜まってくると、した後におつりがはねかえって来るんだよ。雲ちゃんなんざ知らないだろうけどさ。だからその防止ってほどのもんじゃないけど、甕の上に縦に棒が渡してあるんだよ。つまり糞がこの棒に一旦当たってそれからズルリッと下に落ちるから、はねないわけなんだよ。わかるだろ。でね、この棒のことをべらぼうと言ってたよ。ウチのほうじゃ。」

という説明を聞かされた,とある。そして,雲助師匠は,

「『べらぼう』は『便乱棒』が訛ったものだったんですよ。関東一帯で使われていた言葉が秩父に残っていたとしても不思議はありません。便乱坊の見世物が転じてべらぼうになったのではなくて、便乱棒に糞が積もったような姿の生き物の見世物だから便乱坊だったんです。」(http://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/berabou.html

「べらぼう」という言葉が先にあった,という感じは,僕もする。この説が最もリアリティがある。

gaki1.gif


確か,三田村鳶魚だったかが,書いた本は当てにならない,その時代を生きていた,じっちゃんの,

そんなものなかった,

の一言にはかなわない,と言っていたが,まさに,それを地で行く話なのかもしれない(もちろん。個人体験は,たまたまをそもそも,としているきらいがあるにしても)。

同じ糞べらといっても,かなり違いがあるらしいが,例えば,

http://www.honda.or.jp/honda/gaki.html

によると,『餓鬼草紙』という絵巻物の一場面にある図らしいが,

「道ばたで子どもが排便をしています。大便がつかないように高下駄をはき、しかもはだかです。右手には糞(くそ)べらを持って踏ん張っています。糞べらを支えにして勢いよく大便を出せば,お尻につかなくてすみます。仮についたとしても糞べらでこき落とすのです。」

とある(周囲が汚いので高下駄を履く,とも言う)。どうもこれは,ハイヒールの謂れともつながる話のようだ。それで,不意に思い出したが,

如何是仏
乾屎橛(かんしけつ)

という問答がある。その意は,

仏とは何かという問いに対し,くそかきべらじゃよ,と答えている。目の前の何であれ、そこに仏を見る。そこに総ての世界を見る。乾屎橛にこだわってはならぬ。こだわった瞬間、そこに意味をみてしまう。それが柄杓でも、太刀でも構わぬ,ということらしい。

ただ,「箆(篦)」の字は,

びっしりと並ぶ,

という含意があり,本来は,

くし,

を意味し,わが国では,どういうわけか,

へら,

の(矢柄)

を指し,細長く平たく削ってつくっただけの小刀,を意味する。

因みに,「べらぼうめ」は,「べらぼう」に強調の「め」を接尾語として付けたもので,「べらんめえ」は,「べらぼうめ」が音変化したもの,というよりは,

「江戸っ子の早口の巻き舌のはなしぶり」

では,そうなるのだろう。それにしても,たった一つの言葉を探るだけで,日本の文化の底へと辿らされる。

参考文献;
http://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/otosi.html#chapter32
http://gogen-allguide.com/he/berabou.html
http://zokugo-dict.com/29he/berabou.htm
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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