2015年06月29日

晩節


杉晴夫『天才たちの科学史』を読む。

天才たちの科学史.jpg


「本書では,現代科学の根底をなす発見をなしとげた巨人たちの業績を,できるだけ平易に解説するとともに,彼らの素顔,つまり赤裸々な人間像を浮き彫りにすることを試みた。」

とし,わざわざ,著者は,

「どんな人間の生涯にも性格的な欠点が露呈する影の部分がある。しかしこのような影の部分は,巨人たちがなしとげた偉業の価値を減ずるものではない。」

と断っている。ことほどさように,人間としては,いささか,いかがかと思う部分が多々あるからであろう。

取り上げたのは,ケプラーから始まって,

ガリレオ,
ニュートン,
ラボアジェ,
ラマルク,
ダーウィン,
メンデル,
フーコー,
パスツール

である。アインシュタインが入っていないが,

「ノーベル賞の受賞対象となった発見・発明は,科学の細分化によりスケールが小さくなり,,さらに科学者の社会的地位が確立し,劇的要素が乏しくなったので取り上げなかった。」

のだそうだ。

眼の悪かったケプラーは,師ティコ・ブラーエの死後,ティコの詳細かつ緻密な天体観測データを,遺族の意に反してでも,持ち出し,それをついに返却せぬまま,占有し,自分の発見のよすがとした。ために,突然死んだティコについて,遺髪から水銀が高濃度で検出されたため,

「師を殺害してまで観測データを手に入れた」

とまで,センセーショナルな言われ方をしているところもある。しかし,ニュートンの体内にも水銀が検出された例があり,当時錬金術に熱中した科学者は多く,ために,

「金属化合物を舌で舐めて確認していたためだという。ティコも同じことをやっていたのではあるまいか。」

というのが妥当な見方なのだろう。そのケプラーの名声にすがって,ガリレオは,

「私が製作した望遠鏡による天体の観測を報告する著書『星界の報告』は,イタリアの同業者の学者たちに反発され,望遠鏡で彼らに転貸を見せても何も見えないと言われ,私の立場は著しく悪くなっています。あなたの神聖ローマ帝国数学者としての権威で,私をこの窮状から救っていただきたい」

と,懇願する手紙を書き,

「人のよいケプラーは,彼自身,望遠鏡をまだ見たこともないのに,ガリレオの願いを聞き入れ,文書でガリレオの『星界の報告』を称賛してやった。」

おかげて,ガリレオは,この本を種にメディチ家に取り入っていくことになるが,ケプラーには感謝することもなく,

「忘恩,不信義のかぎりをつく」

したという。「ケプラーは,晩年窮乏し,行路病者として共同墓地に葬られた。ガリレオは,

「究極の庇護者であると考えたローマ教皇の逆鱗に触れて罪人にされ,その人生も残り少なくなったとき,突如自分の天職に目覚め,その足跡を歴史に残すことを決心したのであった。この著書(『新科学対話』)でガリレオは次の印象的な言葉を述べる。『神の摂理は,我々の前に開かれている最も巨大な書物,即ち大自然のなかに書かれています。その書物は数字の言葉で書かれているのです。』」

しかし,ドイツでもイタリアでもローマ教皇を憚って出版できず,オランダで出版された。ガリレオは既に失明していて,それを見ることはできなかった。

「ガリレオも,そしてケプラーも,〈万有引力の法則〉の発見にいま一歩まで迫っていた」

が,それを成し遂げたのは,二十歳そこそこのニュートンであった。すでに,時代は,

「容易に〈微分積分法〉を発見しうる段階に達していた」

のであり,

「フランスのデカルトによる解析幾何学は,ケプラーとガリレオの諸法則への〈微分積分法〉の適用を容易にした。要するに,青年ニュートンが…偉業をなしとげるための機が熟していたのである。」

にしても,二十歳そこそこで万有引力の法則と微分積分法を発見したニュートンは,以降85歳で亡くなるまで,六十年も生きた。

「この期間に明瞭になるのは,率直に言って彼の実験科学者としての凡庸さ,さらにその性格の執念深さと残忍性である。」

と著者は書き,フックの痕跡を悉く消し去るなど,競争相手の抹殺であり,ライプニッツと争い,

「彼の晩年の30年は前半生の抜け殻にすぎなかった」

と手厳しい見方である。そればかりか,

「彼を恐れるあまり英国の学問は停滞した。」

とさえ言われている,と。

ラボアジェは,徴税官であったが故に,断頭台の露と消えたが,助命を求める要請に,国民公会の返事は,

「共和国に科学者はいらない」

であった。しかし,ラボアジェ処刑の翌日,数学者ラグランジェは言った。

「彼らがこの頭を落とすのは一瞬で足りる。しかしこのような頭が再び現れるには一世紀あってもたりないだろう。」

と。これに関連して,著者が,ガリレオが裁判の判決がおりてから,

「それでも地球はまわっている。」

に関連して,天動説に転向したのは卑怯未練,と批判する声に,著者は,珍しく,語気鋭く,こう言っている。

「宗教者の殉教とラボアジェのような科学者の殉教とを,同じように崇高な精神の表れとして賛美してはならないことである。これは,結局,科学者を言われなく神さまあつかいすることにつながるのではなかろうか。宗教者は信仰を貫き,殉教する光栄を喜びながら処刑されるのである。つまり,信仰こそが彼らの天職であり,彼らの生涯は殉教によって美しく完結するのである。」

が,科学者は,科学の研究によって発見をすることなのだ,という。別に宗教家だから殉死が目的とは思わないので,余り論旨に賛成はできないが,科学者が主張を曲げても,それでも発見は発見である。それでも事実は残る,というのは,そのままをつぶやいただけに過ぎない。

巨人ラマルクに対して,ダーウィンの凡庸さ,せこさは,いまやある意味常識だが,学歴がない故に,学会で相手にされないフーコーを引き上げた,ナポレオン三世を,著者は,

「独裁者であったにもかかわらず,終生科学に対する尊敬心を持ちつづけ,科学者の活動を擁護した」

として,称賛しているが,どこかの偽ヒトラーもどきにも,爪の垢でも煎じて飲ましたいものである。

参考文献;
杉晴夫『天才たちの科学史』(平凡社新書)






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:29| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください