2015年07月01日

陰伏的(implicit)


デヴィッド ボーム『全体性と内蔵秩序』を読む。

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デヴィッド・ボーム『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』を読んだ折,併せて買ったまま長い間積読になっていたのを,意を決して読み始めた。

専門的,数学的部分は,「本書の理解に全面的に不可欠なわけではなく,専門外の読者にも大部分は理解できるはずである」という著者の言葉に背中を押された。

ただ,正直言って,恥ずかしながら,デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム(David Joseph Bohm)の物理学の位置づけ,その業績についてほとんど知らないままに読んでいるので,まあまったくの自己完結した読みかたになっている。

しかし,ボーム解釈,

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0%E8%A7%A3%E9%87%88

と呼ばれるものを見ると,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416694519.html

で触れた,コペンハーゲン解釈とは対立する,「因果律的解釈、のちには存在論的解釈」で,

「隠れた変数理論に基づいており、その源流は1927年のルイ・ド・ブロイによるパイロット波理論である。このことから、ボーム解釈はド・ブロイ=ボーム解釈」

とも呼ばれる,と。確かに,隠れた(いまはまだ見つけられていない)因果を想定しているところがあり,こう布置し直してみると,よく分かるところがある。特に,

Ⅳ 量子論における隠れた変数理論

の章は,「コペンハーゲン解釈に対する真正面からの徹底した批判」になっているようである。
ボームの考え方の典型は,断片化への批判である。たとえば,

「わたしが言いたいのは総体についての考えかた,つまり全体的な世界観がほかならぬ人間の心の秩序全体に決定的重要性をもつことである。ひとがもしその総体を独立した断片から成ると考えるなら,かれの心はまさにそのようなしかたで働いているのである。だがかれがあらゆるものごとを,分割も分断も境界付けも許さぬ(じっさいあらゆる境界は一種の分離・分断である)全体の内に矛盾なく調和的に包摂できるなら,かれの心はそれと同様なしかたで運動するようになり,その全体内部での秩序的行動が生まれてくるだろう。」

とか,あるいは,

「断片的世界観に支配された人間は,世界や人間自身をその世界観にふさわしいように破壊することになり,すべてのものが自分の考え方に一致するように見えはじめてくる。かくして人びとは,自らと世界を断片化して見ることの正当性があたかも証拠立てられたかのように思い込むことができる。」

と。ポームは結構言葉にこだわり,言葉を独自に表現する。たとえば,「陰伏的(implicit)」という表現がある。こういう言い方である。

「一つの理論は,ある対象に対する特定の見方になぞらえられる。それぞれの見方は,対象の一側面の現れを与えるにすぎない。対象全体は,これらのうちの一つの見方で認識しつくされるようなものではない。全体としての対象は,これらすべての見方のなかに示される単一の実在として陰伏的に把握されているのである。われわれが理論を『実在のありのままの記述』と考えるとき,実在は断片的なものとしてわれわれの思考と想像の中に現れる。そしてそれに応じ,われわれは実在があたかもバラバラに存在する諸断片から成るかのように見ることになり,そして,そのようふるまう習慣を身に付けてしまうようになる。」

この「陰伏的」を訳者は,わかりやすく,implicitとexplicitとして対比しているボームの主張を,陽関数(explicit function)が,ある変数を他の変数の式で表現し,変数同士が互いに独立しているのに対して,陰(伏)関数(implicit function)は,変数間の関係のみが提示されるとし,

「これらの関数では,変数を独立自存するものとして立て,それらを定義するようなかたちで関数を表現することはあまり意味がない。…しかしそれでも(x,y)の値をすべてグラフ上に取っていけば,その式が全体として何をあらわすかはきわめて明らかになる。」

と注記する。つまり,この「全体に言及してはじめて明瞭に姿をあらわすもの」を,陰伏的と,呼んだということを,ボームの断片化批判の基調と併せて考えると,象徴的な表現になっている。全体に位置づけなければ,というか,全体を想定しなければ,個々の断片の意味は見えない。素人が言うのも変だが,すごく意味にこだわっているように見える。一つ一つには(全体から俯瞰したときに初めて)意味がある(見える),というように。だから,

「相対論と量子論はこのように問題にたいする接近方法は異なるが,次の点で一致している。つまり,それらはともに世界を分割不可能な全体としてみなければならぬことを,すなわちこの全体のなかでは,観測者や観測機器まで含めたあらゆる部分を浸透しあい結びあってひとつの総体をなしているということをしめしている。」

という。その考え方に基づいて,解釈を展開する,

Ⅴ 量子論は物理学における新たな秩序を示唆する―物理法則における内蔵秩序と顕前秩序

が圧倒的に面白い。

「『陰伏的(implicit)』という語は,「内蔵する(implicate)」という動詞から出ている。後者の意味は,『内側に包む』(乗法 mutiplicationtが何重にも包むを意味するように)ことである。それゆえ何らかの意味で,全体の構造が各領域のうちに『包み込まれenfolded』て含まれる,ということを表現する」

として,その内蔵秩序を,こう例示する。

「糖蜜のように高い粘性を持つ液体を詰めた透明の円筒を用いる。そしてその円筒に回転装置をとりつけ円筒中の液体をきわめて徐々に,しかも完全に撹拌できるようにする。この液体中に不溶性のインクを一滴入れて撹拌装置を作動させると,インク滴は徐々に糸状に変形し,やがて液全体に拡散する。そうなったときのインク滴は,ほとんど『でたらめに』分布しているようであり,視覚的には灰色がかって見える。しかしそこで装置を逆向きに回転させるとそれまでの変形は逆行し,染料の滴が突然出現する。つまり,インク滴が再構成されるのである。…
『でたらめ』と思える状態に分布したときでも,その染料はある種の秩序を持っている。しかもその秩序は,例えば,最初異なる位置に置かれた滴ごとに異なる。だがこの秩序は液体中に見える『灰色の塊』の中に包み込まれ,ないし内蔵されている。滴だけでなく,一つの絵全体をこのように『包み込む』こともできる。そのように包み込んでしまえば,異なる絵も見たところ区別できなくなるだろう。」

これを,ホログラムになぞらえているが,この例示は,量子の,

位置と運動量の両方を同時に正確に確定することができない,
とか,
粒子としての特徴をもつと同時に波としての特徴をもつ,

といった特徴を,先のインク滴の例になぞらえながら,

「どちらの場合も直接知覚の中に一つの顕前秩序が現れるのだが,それじしんを一貫して自律的なものと考えることができないのである。染料の例では,その顕前秩序は二つの内蔵秩序の交点として定められた。つまりそれは粘液の『運動全体』の内蔵秩序と,感覚知覚中に引き上げられる染料密度という特徴の内蔵秩序の交点として定められた。同様に『量子』の文脈でも,われわれが『電子』と呼んで来たものに対応する『全運動』の内蔵秩序と,計測機器によって引き上げられ(かつ記録され)る諸特性の内蔵秩序の交点が存在するとかんがえてよかろう。」

として,「分割されぬ全体性という秩序」のもとで,「全てが全てを内蔵する」という構想に到達する。それは,「電子の新しい理論模型」として,

「一個の電子は包み込まれた集団全体(からなる集合)によって理解されねばならず,しかもそれらの集団は一般に空間中の一定の場所に局所化できないということである。ある瞬間を取ると,それらの集団の一つが抜き出されてそれゆえ局所化されるが,次の瞬間その集団は包み込まれ,それに続く別の集団が抜き出される。…粒子というものはわれわれの感覚に顕前する一つの抽象物に過ぎないのである。存在するものはつねに集団の総体である。そしてそれらの集団は原則的に全空間にまじりあい浸透し合っている。」

結果として,宇宙から脳まで,この考え方を敷衍していく。

彼の考えが,今日どんな位置づけかは,たとえば,ド・ブロイ=ボーム解釈は,

「『パイロット波』なる未知の波が粒子の運動に影響を与えているとして、量子力学を古典力学の枠内で説明しようとする試みであり、シュレーディンガーの猫の問題は完全に解決できる。一時は成功したかのように見えたが、二個以上の粒子の運動を想定すると古典力学にない非局所的長距離相関が強く現れることが分かり、現在では完全に下火となっている。」

という説明が出ていたり,

「ボーム解釈はコペンハーゲン解釈などその他の量子力学解釈と同様、あくまで『解釈』に過ぎない。ボーム解釈の予測する結果は全て、ほかの量子力学解釈と全く同等であり、すなわち理論的には同等のものである。量子力学そのものが否定されない限り、ボーム解釈は反証されることもない。」

と言われたりしている。

ある意味,19世紀的な完結した世界像のにほひがないでもない。これをいま読むことの意味は,僕は,その構想力ではないか,と思う。言語の語源から始めて,自分の言葉や説明を,一貫した世界としてまとめ上げていく,あるいはそれ自体が,古典物理学的世界像なのかもしれないが,そういう構想の描き出すものに惹かれる。

ボームの内蔵秩序論はしばしばホログラフィック・パラダイムとよばれたが,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/416793184.html

でふれた,ホログラフィック多宇宙と,どうつながるのか,別の関心がわく。

参考文献;
デヴィッド ボーム『全体性と内蔵秩序』(青土社)






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:17| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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