2015年07月09日

きりょう


「きりょう」と聞いて,

縹緻

と思い浮かべた人は,相当の人である。ふつうは,

器量

を当てる。意味は(『広辞苑』によると),

(「器」は材の在る所,「量」は,徳のみつる所の意)

と注記して,

その地位・役目にふさわしい才能・人柄,
才能・力量の優れていること,
ものの上手,
(「縹緻)とも書く)顔だち,見目,また容姿のすぐれていること,

とある。『古語辞典』でも,ほぼ同じ(もうひとつ「からだつき」という意味を加えているが)。『大言海』も同じ。

「器量」という漢字に出典があるらしいのだが,漢字の「器量」には,

はたらき,
度量,

という意味しかない。で,最後に,わが国のみに通用する訓義として,

みめかたち,

の意味が載っている。「器(噐)」は,

「口四つ+犬」

で,さまざまの容器を示す。犬は,種類の多いものを代表している,とある。つまり,器は,

道具であり,
入れ物,

である。孔子が,

君子は器ならず,

といったのは,特定の用途に対応する道具であってはならない,という意味を込めていた。「量」は,前にも触れたことがあるが,

「穀物のしるし+重」

で,穀物の重さを天秤で計ることを示す。穀物や砂状のものは,秤と枡のどちらでも計る。で,後に分量の意となる,そうだ。だから,

はかる,
と,
かさ,
と,
ます,

の意がある。「量」と対比して,「はかる」漢字は,物理的な「はかる」と心理的な「はかる」も,「計る」として,対比している(処が,実際的で面白い)が,その字の多いこと。

「計」は,物の数を数える,
「図」は,(「はかる」と読む)料度,軽量の意。(「はかりごと」と読む)謀略,
「量」は,ます。後に転じて,分量をつもり見る,
「謀」は,心に慮る。人と相談してはかるに用いる,
「度」は,ものさしのときは,ドと読む。転じて大度と用いる。はかると訓むときは,タクと読み,尺度。長短を計る如く,心につもり見る,
「称(稱)」は,はかり。秤にかけて軽重を知るように,釣りあいよくする義,
「権(權)」は,物の軽重を掛けてみるように,差し引き見計らう,
「測」は,水の深浅をはかる。転じて,奥底のはかり知られぬ義,
「料」は,ますめに数える儀,心にはかりつもるにも用いる,
「忖」は,先方の心を推量する,
「商」は,商量,商略に用い,彼此をつもりはかる,
「揆」は,度に同じ,一つのかたに合うか合わぬかをはかる,
「略」は,田地の境を計量する義,切り盛りするに用いる。はかりごとと訓むときは,策略等々。はかると訓むときは,こうすれば善,こうすれば悪と,ひとつひとつはかる,
「算」は,算木。転じて,謀略の意に,
「議」は,ことのよろしきを評定する,
「程」は,これ程と限量をたてる,
「詮」は,はかりにものをかける如く,品位の高低を詳しく品評してわかつ,
「衡」は,はかりのさき,転じて,左右を見合わせ公平にはかる,

等々,これくらいでやめておくが,物理的に計ることが,心での是非,可否の判断になぞらえられ,細かく,文字が使いわけられているのに驚嘆する。これは,使うのも覚えるのも大変に違いない。

いやいや,本題から外れた。ようするに,「器量」という字からは,

縹緻,

の意味は伺いしれない。「器量」という漢字に,

縹緻

の意味はないから,当て字には違いないが,

「器量」の当て字,

という言い方はおかしいだろう。

「 縹緻」の「縹」は,

「糸+票」

で,「票」は,「要(細い腰)の略字体+火」で,こまかい火の粉が軽く目立って飛び上がるさま,を表し,「縹」は,

薄い藍色,肌色,はなだ色の絹布,
薄く軽いほんのりと浮かぶ(「縹渺」等々)

という意味があるが,「はなだ色」というのは,ウィキペディアには,

「縹(はなだ)もしくは縹色(花田色、はなだいろ)とは、明度が高い薄青色のこと。後漢時代の辞典によると『縹』は『漂』(薄青色)と同義であるとある。花色、月草色、千草色、露草色などの別名があり、これら全てがツユクサを表している」

とある。「緻」の,「至」「致」は,

隙間なく届くこと,

で,「緻」は,糸と糸との間が隙間なくくっついていること,の意味。だから,

こまかい,
とか,
隙間がない,

という意味になる。精緻,緻密の「緻」である。どう考えても,「縹緻」の「縹」の字も,「緻」の字も,見目のよさを示す意味はない。しかし,憶測だが,どうやら,見目麗しさに,

縹緻

を当てた人は,「はなだ色」のもつ特色をよく知っていて当てはめたのではないか。とすれば,なかなか端倪すべからざる人物というべきではないか。縹色(花田色)は,

「本来、露草の花弁から搾り取った汁を染料として染めていた色をさすが、この青は非常に褪せ易く水に遭うと消えてしまうので、普通ははるかに堅牢な藍で染めた色を指し、古くは青色系統一般の総括的な呼称として用いられたようだ。ただしツユクサ(ボウシバナ)の栽培種であるオオボウシバナは未だに友禅などの下絵作業に利用されている。」

そうで,

「花色といえば移ろい易いことの代名詞であった。枕草子に『移ろひやすなるこそ、うたてあれ』と嘆かれている儚い色は露草の青である。」

そのはかない美しさを示すのだとすれば,なかなか皮肉な人でもある。小野小町の,

「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」

である。

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本当は,僕は,人の器の容量を表す,

器量,
度量,
雅量,
広量,
大量,
力量,
度量,
技量,

という言葉が,昔から気になっていた。そのことを調べていこうと思って,話が,横道へ逸れたまま,元へ戻れなくなった。これは,別の機会に譲ろう。








今日のアイデア;
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posted by Toshi at 04:47| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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