民主主義


特別委員会で強行採決されたが,それもさることながら,求められて政府が提出した,陸上自衛隊イラク派兵(2004~06年)の「戦場」の実態と、その教訓を記録した「イラク復興支援活動行動史」の,戦闘さながらの事前訓練の内容や、現地の危険性に関する記述がことごとく黒塗りで隠されていることが,この国の民主主義が,既に存在しない,ということを,露骨に示している。

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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150714-00050697-playboyz-soci

で,作家の高橋源一郎氏が,ジャック・アタリの,

「民主主義国家でなければ原子力エネルギーを使ってはいけない。情報公開と透明性がなければ民主主義国家ではない」

との言葉を引き,こう言い切っています。

「だとするなら、日本には民主主義はなく、原子力エネルギーを使う権利はないことになります。」

その例証に,フィンランドの核廃棄物保管施設「オンカロ」を描いたドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』では、オンカロの責任者が反原発派の急先鋒である監督のインタビューを受けています。


「両者の立場はまったく相いれないけれど、それを全部撮らせて、映画の公開も許している。絶対に意見が合わない人たちが、それでも最後まで意見を戦わせ続けていた。つまり、コミュニケーションをあきらめない、ということです。そして、それを公開し続けることがフィンランドで原発政策を続けることを担保しているんです。」

まさに,これこそが,民主主義なのではないか。まともな議論をせず,結果として,一言隻句修正もせず,すれ違いのまま,強行採決するのは,ただ儀礼として,質問時間を何十時間とったという,アリバイ証明に過ぎない。高橋氏は,言う。

「日本に民主主義はないという事実に気がついたんです。結局、3・11が明らかにしたのは、この国の『対話の非存在』なんですね。安倍首相の国会での答弁見てればわかるでしょ?『オレが決めたんだから、言うことを聞け!』でおしまい。一切、対話をしようとはしない。」

と述べる。そういう国なのだ。この2015年7月15日は,確実に,日本の岐路になる。それは,ある意味,日本国民が選んだ道だということを忘れてはならない。

内海信彦氏が,『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(2004)から,宣伝相ゲッベルスが,ベルリン市民が市街戦に倒れていくことに,

「同情などしない。彼らが選んだ運命だ。我々は国民に強制はしていない。彼らが我々に委ねたのだ。自業自得さ。」

と語っているセリフを引用している。国民自身が意図したかどうかは別に,選んだ結果なのだ。かつて,周恩来は,

「「我が国は賠償を求めない。日本の人民も、我が人民と同じく、日本の軍国主義者の犠牲者である。 賠償を請求すれば、同じ被害者である日本人民を苦しめることになる」

と,政府と国民を分けた。しかし,昨今,この苦肉の二分法は,無意味化した,という声が中国内にある。と言う。安倍政権を支えているのは,日本国民の多数派だからだ。外からは,そう見えるということだ。自覚しているかどうかとは関係なく,無関心もまた,支柱なのだから。

思えば,麻生氏が,

「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」

といったいたことがなぞったように実現されつつある。これで,少なくとも,憲法の文言は,死文化されたのである。

政権批判については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/422213828.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/419483041.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/411811193.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/405050518.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/403751881.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401642428.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/416592147.html

等々,折に触れて書いてきた。しかし,岐路を選んだ以上,すべての日本国民は,その責任を担わざるを得ない。アメリカが始めた戦争に,必ず,宣戦布告なく,加担することになる。集団的自衛権とは,そういうものだ。それは,国内での無差別テロも含めて,われわれが被害者面してはいけないということだ。

「今、特別委員会で可決しました。これは極右による憲法と民主主義への暴力的なクーデタです。ナチが権力簒奪直後に全権委任法制定を強行したのと全く同じです。「国民」だけではなく在日外国人も含めたすべての日本民衆の存立危機事態です。このままでは明日に衆院本会議で強行可決することになるでしょう。この日、2015年7月15日、戦後日本は終焉を迎え、戦前戦中の日本と同じような全体主義国家に向かうことになりました。」(内海信彦)

の言う,「存立危機事態」とはそういう意味だ。それにしても,

「どうせ理解はされない。支持率も下がるだろうが、国民は時間がたてば忘れるだろう」

とアベシンゾウ氏はコメントしたそうだ。

「憲法の名宛人は国民ではなく内閣であることすら理解していない男に、ここまで馬鹿にされたままでいいのか」

とは,心底そう思う。,

「(辻元氏が)『私の祖父は戦争で死んでいる。子供のころ、なぜ戦争になったのと祖母に聞いたら、分からないうちにそうなったと言われた」と涙を流し、『戦争だけはアカン。立法府の人間として、絶対そんな時代をつくらない。戦争に進むちょっとした芽を摘まないと、歴史は繰り返す」と、声を震わせて訴えた。』』

との記事が胸を打つ。

最後に,「自由と平和のための京大有志の会」のアピールは,ここから続く戦いの旗幟である。

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

参考文献;
http://www.kyotounivfreedom.com/manifesto/
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150714-00050697-playboyz-soci








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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