2015年07月25日
昔取った杵柄
昔取った杵柄とは,
「若い頃に身に付けた技量や腕前のこと。また,それが衰えないこと。」
「昔、若い頃に、しっかりと鍛えて、身につけた技能は、年がたっても、そのことを忘れず、 十分にやることができるというたとえ。」
という意味である。
若い頃に身に付けた餅をつく腕前は,年をとっても体が覚えているため衰えないことから,
そういうらしい。いわゆる,
手続き記憶,
である。スキーや自転車といった,身体で覚えた記憶である。
「杵柄」とは,
脱穀や餅つきに用いる杵の柄,の部分のこと,である。
「杵の柄を上手にあやつって、餅をしっかりとつく」
という意味になる。だから,よく,
「かつて、しっかり体に身につけたことは、ある程度、年が過ぎても、そのことを体で覚えているので、 昔のように、上手にやることができるということです。」
と説明される。しかし,僕は,あまり信じない。確かに,スキルは,身についている。しかし,現実に日々それを繰り返し,強化している人と対等に渡り合える,というのは思い上がりである。
かつて自分がやったことがあると,そのイメージでわかったふりをするのが,最悪の経験者であるのと同様,自分の(できているときの)イメージ通りに,いま体が動くわけではない。
だから,
騏驎も老いては駑馬に劣る(及ばず),
昔千里も今一里,
昔の剣(つるぎ)今の菜刀(ながたな),
昔は肩で風切りいまは歩くに息を切る,
等々と,逆の諺の方が圧倒的に多い。
http://ppnetwork.seesaa.net/article/417632824.html
で触れたが,どんなスキルも,日々鍛錬しつづけなければ,劣化する。かつて自分が出来たと思ったイメージ通りには,自分ができないことは,おのれ自身で気づく。それに気づけないのであれば,それは,おのれのノウハウとはなっていなかった,ということだ。
なぜならば,スキルもまた,
自己完結
しているわけではなく,環境とというか,状況との格闘抜きには,上達はない。とすれば,何十年も前に自分がそのスキルを立てていた状況とは変わっていれば,そのスキルは,状況対応できないことになる。つまり,
状況変化に対応できないスキル,
とは,時代遅れであり,化石化そのものに他ならない。前に書いたことと重なるが,
スキル,
を,
Knowing how,
と置き換えると,ただそれをやれるという埋没化した即自的なものは,スキルとは言わない。G・ライルの,
Knowing that(そのことについて知っている)
と
Knowing how(そのやり方を知っている)
で言う,
Knowing that,
つまり,Knowing howのKnowing that,
そのやり方についての知,
を持たなければ,おのれのスキルそのものをメタ化できない。つまり,俯瞰する力がない。それでは,自分のスキルを測ることなどできはしないのである。所詮,
昔取った,
という形容詞抜きでは,誰にも認知されないであろう。ある意味,
昔取った杵柄,
という言い回し自体に,一種の,
揶揄,
がある。まあ,こんな感じである,
「昔鳴らしたんだってねえ,お手並み拝見」
である。明らかに,相手のほうがメタ・ポジションに立っている。多く,どんな剣豪も,老いては,試合をしない。目利き力だけで,生きる。それが,本当の意味での,
昔取った杵柄,
というものの意味である。目利き,については,既に,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/418653213.html
に書いた。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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