2015年07月26日

帰去来


久しぶりに横浜美術館に伺い,蔡國強展「帰去来」を観てきた。

http://yokohama.art.museum/exhibition/index/20150711-449.html

http://yokohama.art.museum/special/2015/caiguoqiang/

圧巻は,「壁撞き」。

「約40メートルにもおよぶ、等身大の99匹の狼が群れをなして空を飛んで疾走。狼たちはガラスの壁に当たって落下するものの、立ち上がり群れの後ろについて何度でも壁に向かって挑みかかります。」

として,

「私たちの周囲には、文化や思想などの目に見えない壁があります。狼たちはその壁を越えようと、あきらめずに挑戦し続けているようにも見えます。」

との説明がある。しかし,ぼくには,例の集団自殺するという都市伝説のようなレミングに見える。それは,そのまま愚かな指導者に強いられて,狂気の特攻攻撃をしたのと同じ轍を,再び踏もうとするこの民族そのものに見える。個々の人の反発や異見をなおざりに,集団圧力で自死へと追い込む姿に見えて仕方がない。

cai-guo-qiang01.jpg


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こういうのは,インスタレーションと言われるものなのかもしれない。ンスタレーション (Installation art) は,

「1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法・ジャンルの一つ。ある特定の室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させる芸術。」

だそうである。言ってみると,描かれたものを,部外者として見る立ち位置ではなく,その場の中に,当事者として立つ,ということを強いられる。思えば,Installationの動詞,installとは,ソフトをパソコンに組み込むときのおなじみの用語だ。とすると,インストールされたのは,観る人かもしれない。この場に立ったとき,その空間の一員として組み込まれたとき,疾駆するオオカミと,おのれを分けるのは,何だろう。自分はオオカミでないという,かぼそい自意識の敷居だけだ。果たして,それだけで,その群れから自由になれるものかどうか,覚束ない。

https://www.youtube.com/watch?v=SQWnz9Akxq8

入り口にあるには,「夜桜」と題された,800×2400という巨大な和紙に描かれたものだ。人が小さく見える。これも,火薬を使ったものだが,これよりは,「人生四季」の「春・夏・秋・冬」のうち,僕は,「春」「夏」がいい。

DSC01734.JPG


案内には,

「蔡は、中国の文化・歴史・思想から着想を得ながら、火薬の絵画、独創的な花火、ランドアート、インスタレーションなど、多義的な視点による作品で、現代社会へ一石を投じてきました。例えば戦争や武器に用いられる火薬の爆発を、絵画や花火という美術作品へ転じることにより、火薬の破壊力と平和利用の有効性の双方の視点を、蔡は私たちにしなやかに提示します。」

とあったが,火薬を使うことで,水墨画の白黒の陰翳へと変化させるという意図(?)がよくわかるのが,牡丹,蓮,菊,梅,を題材にした「春夏秋冬」と題された白磁を火薬で,墨絵の世界へ変えた作品だ。

色は想像の世界で十分補える,

というのが感想だ。墨絵の世界のもつ,深い陰影に惹かれた。が,それと同時に,せっかくの白磁の花びらの部分は,真っ白で遺せたら,際だったのではないか,と感じた。しかし,

花火,

がそうであるように,ある意味ライブ感覚が残る,火薬による制作には,意図とは微妙に乖離していく,

偶然性,

のもたらすもののもつ,コントロール不能な部分とコントロールしようとする意図とのせめぎ合う,緊張感もあるのかもしれない,

展覧会のタイトルの,「帰去来」は,中国の陶淵明の「帰去来辞」からの引用。例の,

帰りなんいざ,

である。その意図はともかく,何らかの意志の表明であることは確かである。

歸去來兮(かえりなんいざ)
田園 将(まさ)に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
既に自ら心を以て形の役と爲(な)す
奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として獨(ひと)り悲しむ
已往(きおう)の諫(いさ)むまじきを悟り
来者(らいしゃ)の追ふ可(べ)きを知る
実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚りぬ
舟は遙遙として以て輕く上がり
風は飄飄として衣を吹く
征夫(せいふ)に問ふに前路を以ってし
晨光(しんこう)の熹微(きび)なるを恨む
http://tao.hix05.com/102kaerinan.html

「実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず
今の是にして昨の非なるを覚りぬ」

何やら,確信の表明に聞こえる。

http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2015/07/0710.html

に,

「ほぼ世界中あちこち、もう全部行った。
そろそろ一回、若いときに自分が日本で受けたもの、考えたもの、どういうものか戻ってもう一回考えようと思った。
日本は私のひとつ、若いアーティストのふるさと。」

と,ある。







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:07| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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