後生楽


後生楽,

という言葉があるらしい。

「ごしょうらく」

と,読む。出典は知らないが,意味は,

後生は安楽と思って安心すること,
心配事も苦にしないで、のんきなこと。また、そのさまや、そのような人。ののしったり、しかったりするときにもいう,

とある。もともと,

「後生」の意味から,派生したに違いない。「後生」とは,

今生

前世

に対する言葉で,「来世」のこと。もともと,

来世の安楽,
とか
極楽往生,

との意をもっている。そこから派生して,

人に折り入ってものを頼むときに言う。『大言海』に,

「人を救ふ善根は,後生安楽の果報とならむとの意」

とある。「後生の勤め」とかと言って,

極楽往生を願って,この世で徳行を積むことから,

「後生を願う」

という意味で,人に頼むときに,

「後生だからお願い」(とは,昨今言わなくなったが)

等々と言って,

「後生善処するから,お願いします」

「私の頼みを聞いておくと,後生に果報があるよ」

とは,なかなか虫のいいことを言う。

してみると,後生楽は,後生にあるかのように,のんきにしている,という意味だが,どうも,明らかに,(場違いに,今風に言うと,空気を読めず)のんびりしている奴への面当てというか,嫌味で言う言い方のように思える。

それにしても,「後生」にまつわる言葉は多い。

後生一生
後生気
後生心
後生善処
後生立て
後生だのみ
後生願い
後生始め
後生菩提

後生の生まれ変わりを頼んで,「後生立て」し,「後生を願う」。むろん,「後生嫌い」(後生と言うより信心嫌い)と言う言葉もあるくらいだから,すべてではないにしても,今生ではなく,他生にすがるしかなかった憂世のしんどさが逆に垣間見える。

後生大事
後生は徳の余り

もそれを示す。もっとも,

後生願いと栗の木にまっすぐなものはない
後生願いの六性悪

と,その底意を嘲るものもあるし,

後生より今生が大事

というもっともなのもある。

話が違うが,「後世動物」という概念があった。

「動物界には多細胞動物と、単細胞で運動性がある原生生物が含まれていた。この、動物扱いされていた単細胞生物を原生動物というのに対して、多細胞の動物をまとめた呼び名として後生動物が使用された。」

「後世」と訳したのは,時系列的に,多分つながっているという感覚なのだろうか。「個体発生は系統発生を反復する」という「反復説」のヘッケルの唱えたものらしいが,人は,受精卵から成人するまでの個体発生プロセスのの間に,

「単細胞生物→多細胞動物→脊索動物→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類→類人猿類→人類」

という系統発生を繰り返している,という説である。単細胞以降の後生,そう考えると,成長し,生まれ出る前に,

輪廻転生,

を繰り返している,と言えなくもない。すでに,その意味では,生まれ出た,今生が,

後生,

なのではないか,という気がする。

参考文献;
中沢弘基『生命誕生』(講談社現代新書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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