2015年08月17日

ほうほうのてい


「ほうほうのてい」は,

這う這うの体,

と書く。

いまにも這い出さんばかりの様子,
散々な目にあって,かろうじて逃げる様子,

という意味である(『広辞苑』)。『日葡辞典』では,

ハウハウノテイニテニゲタ,

とあるそうだから,本来は,

這う

が訛ったものなのだろう。『古語辞典』には,

はふはふ,

として,

やっとの思いで歩くさま,
体裁の悪いのも何も構っていられないさま,

という意味が載っている。やはり『大言海』の説明がふるっている。

歩みがたきを,強ひてなす状に云ふ語,
辛うじてあゆみて,

として,

失敗(しぐじ)りてそこそこに逃ぐる状に云ふ,

とある。しくじって,こそこそ逃げる,のを,本人の身になれば,いたたまれず,這うようにして,去る,という状態であろう,と惻隠して言う言葉なのだろう。たぶん,逃げる本人は,

ほうほうの体で逃げる,

とは言わない。その場に居合わせた周囲の人には,そう見えた,ということだろう。そこには,憐憫が混じっている。その意味では,類語としてあがる,

辛くも,
間一髪で,
首の皮一枚で,
危機一髪で,
命からがら,

というのは,似ているようで,まるで視点が違う。

その場にいる自分自身が危なかった,

と言えるニュアンスではない。そういう一般的な危機ではない,

おのれのへまが招いたもの,

だから,ほかの人はそこから逃げ隠れする必要はない。そこには,

ただ危なかったと述懐するような自慢の色はない。

いたたまれず,

尻に帆掛けて逃げるさまなのである。あるいは,

尻尾を巻く,

とんずら,

という方がニュアンスは近い。でなければ,「ほうほうのてい」に含まれる,

恥ずかしさ,

いたたまれなさ,

が抜けてしまう。

それにしても,昨今,

厚顔無恥,

というか,

面の皮が厚い,

というか,廉恥心の欠片もなくなったように見えてならない。廉恥心とは,

恥を知る,
というより,
恥が何たるか知っている,

という意味だ。無恥は,無知から来ている。それについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/419536179.html

で書いたが,

之を知るを之を知ると為し,
知らざるを知らざると為す,

それを知らぬを無知と言うばかりではなく,無恥という。

本来,ほうほうのていで,逃げるべき時に,逃げずに,そこに開き直る。いや,冗談だと,言い募る。

そこに居座ること自体,恥ずかしいのに,それを恥もせぬ,

無恥,

とは,まさに無知。それもおのれを知らず,天に恥じぬ。もはや,恥知らずではなく,人間としての何かが欠けている,というべきではないのだろうか。









今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:26| Comment(0) | 生き方 | 更新情報をチェックする
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