2015年08月22日

山県有朋の靴


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最近,ずっとニッチ時間を見つけては,Kindle版で,昔の大衆小説をぱらぱらと読んでいる。岡本綺堂や野村胡堂,佐々木味津三,林不忘と言ったところに辿り着いた。岡本綺堂については,何度か触れたことがある。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418326441.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418161213.html

等々,何度か触れたことがある。僕は個人的に言うと,岡本綺堂は,野村胡堂よりはるかに,文章も構成もまさると思うが,佐々木味津三,

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/syakai/syakai/tousan/106/106.htm

というと,『右門捕物帳』や『旗本退屈男』は思い浮かんでも,東映の時代劇映画で,大友柳太郎の『右門捕物帳』や市川右太衛門の『旗本退屈男』しか知らず,原作を読む機会もなかったし,かつては,そんなに簡単に読もうにも手に入らなかった。だから,興味を惹かれて,原作を始めて読むと,映画の主人公のキャラクターとは随分イメージが違うことには驚かされる。しかし,あくまで小説の結構ということだけを考えても,またエンターテインメントとしての出来栄えとしても,現在から見ると(現時点の視点から振り返ると),まあ,映画の原案程度のレベルに見える。いまなら,どの賞にもかすりもしない気がする(失礼…!)。ただ,話自体は,面白いつくりになっていて,それだけに,映画作りには,格好の原作になった,という気がしてならない。

しかし,表題作についてきた四作品,どうやら佐々木味津三の晩年(といっても,37歳でなくなっているのだが)の作品群,「老中の眼鏡」「山県有朋の靴」「流行暗殺節」「十万石の怪談」はいい。「流行暗殺節」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/1485_16865.html

もいいし,「老中の眼鏡」も,

http://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/1483_16864.html

悪くないが,特に,「山県有朋の靴」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000111/files/1486_16867.html

には感心した。いまはどこででも,簡単に読めるが,こういう作品が,埋もれていたのか(僕が知らないだけだが),と妙に印象深い。

維新という時代の転換で,取り残された元旗本が,徳川幕府を倒した側の山県有朋の下男に落ちぶれ,有朋の靴を磨いている,という境遇にある。感情を失い,というか殺して,ただ無気力無感動に,淡々と過ごしている。しかし仮面のその表情の下にある,鬱屈がほんの些細なことで吹き出す,その悲しみが,僕にはよく沁みた。

よく考えると,映画のイメージで,作家を投影していたのかもしれない。他にも読めていないものがあるので,たまたまをそもそもとしているかもしれないが,

「佐々木の『右門捕物帖』は、嵐寛寿郎と山中貞雄によって「和製シャルロック・ホルムス」と銘打ち、 『むっつり右門』シリーズとして映画連作された。主人公の「むっつり右門」というあだ名、バスター ・キートンを手本にした無口なキャラクター、人差し指を立ててアゴに手を持っていく癖、これらはすべ てアラカンが創作したものである。
 また登場人物の『あば敬(アバタの敬四郎)』、『ちょんぎれの松』も、アラカンや山中が創ったもの で、映画に合わせて佐々木が原作小説に逆輸入したキャラクターである。『あば敬』の『村上』という姓も、映画でこれを演じた尾上紋弥の本名が『村上』だったことに因んでアラカンが思いつきでつけた。
 『右門捕物帖』の設定は、このように嵐寛寿郎プロダクションで先行して創作され、佐々木の原作に採 り入れられていったのだが、当の佐々木は怒りもせず、『こんどの映画どうなる?』とアラカンに聞いてき て、あべこべに映画の内容を小説のネタにしていた。」

「佐々木の代名詞ともなった作品『旗本退屈男』は、昭和5年にこれを読んだ市川右太衛門が気に入っ て映画化。以後右太衛門の主演代表作となり、計31本の大ヒットシリーズとなった。」

等々,とあるから,映画のイメージが強いのは当たり前かもしれない。ある意味,映画を意識して,小説を書き,いまで言うと,テレビドラマの小説化のような,先駆けをやっていたことになる。その意味では,『旗本退屈男』のほうは,

「無役ながら1200石の大身。本所割下水の屋敷に住む。独身で家族は妹の菊路。他に使用人が7名同居。身長五尺六寸(約170cm)というから当時としては容貌魁偉な大男」

という原作とは,イメージが違うか,僕の年代だと右太衛門のイメージが鮮烈で,若さをあまり感じない。そのイメージのまま読むと,文章は,確かに,若い,眉目秀麗とあっても,それをスルーしてしまう。視覚で作られたイメージは強い。

「旧制愛知一中(現:愛知県立旭丘高等学校)を中退した後、明治大学政経科を卒業。雑誌記者の かたわら小説を書き、1919年『大観』に載せた「馬を殴り殺した少年」で菊池寛に見出される。文壇 に姿を現した当初は純文学を志していたものの、父親が遺した借金の為に経済的環境が厳しく、長兄を早くに亡くした事で家族を養い、また家の負債を返す必要が生じたために大衆小説に転向。当時は 格下と言われていた大衆向け小説を書くことに抵抗を感じたが、芥川龍之介から激励を受け感激し、そのことが後々まで影響したと自著に記している。」

とあるので,その筆力を現実化するのに暫し猶予が要ったということか。しかし,

「しかし、自らの体力を削って無理な執筆を重ね、それが為に健康を害してしまい、若くしてこの世 を去った。その死は、現在でいうところの過労死であると言われている。37歳没。 また、小説家とし て成功した後は弟や妹一家を東京に呼び寄せ、家計の面倒も見たという。」

とあるように,「有朋の靴」が,絶筆という。絶筆と聞くと,また感慨も少し動く。








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:06| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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