とんだところを
ずっと,ばったり会った時の,なんか台詞があったなあ,と喉に引っかかった小骨のように思い出せなくて,あるところで,はたと思いだした。
とんだところへ(を)北村大膳,
である。言われてみれは,ああ,そうだ,だが,しかし,自分が,
ばったり出会った,
というか,
出会いがしらの遭遇,
という意味合いと受け止めていたのとは,ちょっと違ったらしい。
「『とんだ所へ来た』の『きた』に『北村』の『きた』を掛けて続けた言葉遊び。歌舞伎『天衣紛上野初花 (くもにまごううえののはつはな) 』の河内山宗俊 のせりふの一節で、松江侯の屋敷に宮家の使僧と偽って乗り込んできた河内山が、家臣の北村大膳に正体を見破られて言う。」
とある。そんな薀蓄をさりげなくちりばめていたのは,岡本綺堂だが,それについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/418161213.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/418053269.html
で取り上げた。台詞のテンポか,やはりいいのではないか,という気がする。
件の河内山宗俊のフレーズは,『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』(松江邸玄関の場)で,こんなセリフになる(『せりふ集・歌舞伎』)。
「エエ仰々しい、静かにしろ……。悪に強きは善にもと、世のたとえにもいうとおり、親の嘆きが不憫さに、娘の命を助けるため、腹に企みの魂胆を、練塀小路に隠れのねえ、御数寄屋坊主の宗俊が、頭の丸いを幸いに、衣でしがお忍が岡、神の御末の一品(いっぽん)親王、宮の使いと偽って神風よりも御威光の、風を吹かして大胆にも出雲守の上屋敷へ、仕掛けた仕事のいわく窓、家中一統白壁と、思いのほかに帰りがけ、とんだところを北村大膳。くされ薬をつけたら知らず、抜きさしならならねえ、高頬のほくろ、星をさされて見出されちゃア、其方(そっち)で帰れといおうとも、此方(こっち)で此の侭帰られねえ。この玄関の表向き、俺に騙りの名をつけて、若年寄に差し出すか。但しは騙りを押し隠し、御使僧役で無難に帰すか、二つに一つの返答を、聞かねえうちは宗俊も、ただ此の侭じゃ帰られねえ」
こんなテンポの台詞は,昨今の芝居では,なかなか聴けないだろう。
「月も朧に白雲の、篝霞む春の空、冷てえ風もほろ酔いに、心持よくうかうかと浮かれ鳥の唯一羽、塒(ねぐら)に帰る川端で、竿の雫か濡れ手で粟、思いがけなく手に入るる百両……ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹は厄落とし、豆沢山に一文の銭と違って金包み、こいつァ初春から縁起がいいわえ」(『三人吉三巴白浪』のお嬢吉三)
で言う,
「こいつァ初春から縁起がいいわえ」
とか,
「知らざァいって聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残した盗人の、種はつきなし七里が浜。その白浪の夜働き、以前をいやあ江の島で、年季づとめの稚児が淵、百味でさらす蒔銭をあてに小皿の一文字、百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕探しも度重なり、お手長講の札つきに、とうとう、島を追い出され、それから若衆の美人局(つつもたせ)ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた音羽屋の、似ぬ声色で小ゆすり騙り、名せえゆかりの弁天小僧、菊之助たァ、おれがことだ。」(『白浪五人男』の弁天小僧菊之助)
で言う,
「知らざァいって聞かせやしょう」
とか,
「問われて名乗るも烏滸(おこ)がましいが、生まれは遠州浜松在、十四の歳から親に離れ、身の生業(なりわい)も白浪の、沖も越したる夜働き、盗みはするが非道はせず、人に情けを掛川から、金谷をかけて宿ねで義賊と噂、高札のまわる配符のたらい越し、危ねえその身の境涯も、最早や四十に、人間の定めは僅か五十年、六十余州に隠れのねえ、賊徒の張本、日本駄右衛門」(『白浪五人男』の日本駄右衛門)
で言う,
「問われて名乗るも烏滸がましいが」
とか,
「しがねえ恋の情が仇。命の綱の切れたのをどう取り止めてか木更津から、めぐる月日も三年越し、江戸の親には勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷は食いつめても、面に受けたる看板の、きずが物怪の幸いに、斬られの与三と異名をとり、押し借りゆすりも習おうにも馴れた時代の源冶店、その白化けか黒塀いに格子造りの囲い物、死んだと思ったお富たァ、お釈迦さまでも気がつくめえ。よくもお主や、達者でいたなあ」(『与話情浮名横櫛』の与三郎)
で言う,
「しがねえ恋の情が仇」
とか
「死んだと思ったお富たァ、お釈迦さまでも気がつくめえ。」
等々,多少聞き覚えのあるセリフを抜き出してみたが,歳のせいか,五七五の作り出すリズムが,やはりいい。
しかし,
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh6.htm
で,河竹黙阿弥の『三人吉三巴白浪』について(「黙阿弥の『七五調』の科白術」),
「『七五調』というのは和歌・俳句はじめ日本語の伝統の詩のリズムですが、芝居の『七五調』はどれも同じというわけではありません。黙阿弥の『七五調』はすこし前の瀬川如皐の『与話情浮名横櫛』(切られ与三郎)の『七五調』とはちょっと違っております。
切られ与三郎の有名な科白『しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し・・・』を見ますと、『しがねえこいの/なさけがあだ/いのちのつなの/きれたのを』という風に、すべて『七・五』のリズムの頭にアクセントが付きます。これは、いわゆる関東なまりの『頭打ち』のアクセントです。(中略)
ところが黙阿弥の『七五調』を見ますと、お嬢吉三の科白「月も朧に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持ちよくうかうかと…」では、『つきもおぼろに/しらうおの/かがりもかすむ/はるのそら』という風に、『七・五』の二字目にアクセントが付いています。これは『二字目起こし』と言って、上方のアクセントなのです。」
とある。セリフは生きた言葉になって初めて生かされるので,文字ではなく,声音で耳に残ったのが,結局記憶に残る。その意味では,そういわれると,そのように記憶が蘇る(?)気がしないでもない。
字余りも,それはそれで意味があるが,独特のリズムというのは,昨今,字余りだらけの歌詞には,とんと見かけなくなった。字余りも,理由がないと,散漫で,言葉が頭に入らない。口頭のメッセージは,歩留り25%というが,七五調の言葉のテンポは,多分記憶に残りやすいのだ。歳のせいかもしれないが,
とんだところを
を,少なくともリズムは記憶に残っていたのだから。
参考文献;
http://www.geocities.jp/kyoketu/51.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/dentoh6.htm
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04_10.html
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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