慙愧
ふっと,歳のせいか,過去がフラッシュバックのように蘇り,冷や汗をかくことがある。まあ,ろくでもないことばかりしているので,自業自得ではあるが,まさに,言葉としては,
慙愧に堪えない,
といった思いに駆られる。フラッシュバックは,
「フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうち1つである。」
とされるので,少しオーバーだが,
「過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出されかつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに特に使われる。」
と,考えれば,そのときのおのれの振る舞いが,背中に汗を書くように,恥ずかしく,
慙愧の念,
というのが最もふさわしい。
慙愧は,
慚愧
とも書く。共に中国語由来で,いずれも,「恥」が語源。
恥ずかしく思う,
意を表す。あるいは,
愧じて恐れおののく,
という意味になる。
「慚」「慙」は,ともに,「心」か「忄」と,「斬」に心がついているが,「斬」は,
ざくざくと切り込む,
という意で,「心」を加えて,
心に切れ目を入れられたように感じること,
という意味になる。「惨」(つらい)と近いらしい。で,
心にざくざくと切り込みを入れられた感じがする,
申し訳ない,
という意味と同時に,
人の評価・好意に対してふさわしくない自分を恥じる,
有り難く申し訳ない,
という意味に,シフトしても使われる。恥じる,には,恐縮する,忝い,というニュアンスもある,ということになる。因みに,「惨」は,
心に深くしみこんで辛い思いを与えること,
で,「慚」「慙」が受ける側,とすれば,「惨」は,与える側,ということになる。しかし,意味は,
惨めで痛々しい,
心に染み入るように辛い,
と,両者ほぼ重なって,心の辛い状態を示す。
「愧」は,「鬼」が,象形文字で,
大きな丸い頭をして足もとの定かでない亡霊,
を描いたもの。丸いという意を含むようで,「愧」は,
心が縮んで丸く固まってしまうこと。はずかしくて気が引けた状態,
を意味する。
漢字では,同じ「恥ずかしさ」で文字を分けて,前にも書いた気がするが,
「恥」は,心に恥ずかしく思う義,重き字なり,とある。「行己有恥」(己を行うて恥あり)である。
「辱」は,はずかしめ,「栄」の反,外聞悪しきを言ふ。転じて,かたじけない,という応接の辞に。
「愧」は,おのれの見苦しきを,人に対してはづる。醜の字の気味がある。
「慙」は,慙愧として用い,きづる,と訓み,はぢとは訓まない。
「羞」は,はぢてまばゆく,顔の合わせがたきなり。婦女子のはづかしげにするなどに多く用いる
「忸」「怩」は,ともに,羞じる貌の意。
等々と使い分けている。「慙愧」は,「忸怩」と似ている。「忸怩」とは,中国語の,
「忸(はじる)」+「怩(はじる)」
で,恥じ入るさま,という意味だが,「忸怩」にはない,「悔い」のニュアンスが,「慙愧」にはある,ような気がする。「悔いる」の語源は,
悔ゆ(後からしなかったらよかったと思う)の上一段化,
だということで,残念だと,唇をかむ,というときの言い回しである。
自責の念にかられる,
とか
汗顔のいたり,
等々とも,ベン図ふうに言うと,両者の円が重なる。それでもなお,ここまで,生かしてもらったのは,ある意味,
天恵
のお蔭というべきかもしれない。ただの,
馬齢を重ねる,
のではない,帳尻の付け方が,問われているらしい。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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