2015年09月01日

百年目


落語の『百年目』で,

大旦那が,大番頭に,「旦那」の由来を語るところがある。

「一軒の主を旦那と言うが、それは、『五天竺の中の南天竺に栴檀(せんだん)と言う立派な大木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。ある人が南縁草を取ってしまうと、栴檀が枯れてしまった。後で調べると栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと南縁草も育った。その栴檀の”だん”と南縁草の”ナン”を取って”だんなん”、それが”旦那”になった。』という。こじつけだろうが、私とお前の仲は栴檀と南縁草で上手くいっているが、店に戻ってお前は栴檀、店の者が南縁草、栴檀は元気がいいが南縁草は元気が無い。少し南縁草に露を降ろしてやって下さい」。

と,自分と番頭,番頭と店の者,を準えながら,「家ではあたし、店ではおまえさんが栴檀で、若い者が南縁草。南縁草が枯れれば栴檀のおまえも枯れる」と,番頭を諭すところがある。

この「旦那」の語源が,作り話とわかっても,なかなか味わいがある。

栴檀.JPG


旦那は,檀那とも書くが,

布施をすること。またはその人。
女性の配偶者のこと。
商家の主人のこと。

といった意味だ。辞書(『広辞苑』)によると,

「布施」を意味する梵語「ダーナdāna)」の訳語。
(日本では)特定の寺院に属してその経営を助ける「布施をする人(梵語、ダーナパテdānapati。漢訳、陀那鉢底)」。「檀越(だんおつ、だんえつ)」「檀家」とも称された。
家人召使が主人を呼ぶ語。
女性がその配偶者を呼ぶ語。

が載っている。語源辞典では,

http://gogen-allguide.com/ta/danna.html(『語源由来辞典』)

によると,

「ダーナ」は,「与える」「贈る」の意味で,施し,布施と訳された,

とある。後に,寺院や僧侶に布施をする「施主」「檀家」の意味で,僧侶が使うようになり,その語,パトロンのように生活の面倒をみる人の意味にまで広がった,とある。

面白いのは,『大言海』は,「ダンナ」と表記して,項目を立てている。で,

「梵語,陀那鉢底(ダナパテ)の略転。布施又は施主の義)」

と,注記して,こう載せている。

僧より,其の道に恵みを與ふる信者を称する語。檀越。
檀家。檀中。檀方。
転じて,家人,婢僕より,其の主君,主人を恩義あるにつきて称する語。
又転じて,商人の顧客を敬いて呼び,又賤人より貴人を尊びて呼ぶ語。或いはその代名詞の如く用いる。

とある。これで,「檀那」「ダンナ」のもつ意味の広がりがよくわかる。要は,いろんな意味で恩義(多くは布施類似)を蒙る相手を指す。

その意味で,『百年目』の語る謂れは,その恩義が,廻りまわってくることを,言っている。

そもそも「布施」は,

「檀那(旦那)(ダーナdāna)」

の訳。檀那は,音訳したもの。つまり,檀那と布施は,元来同じ語からきている。

「他人に財物などを施したり、相手の利益になるよう教えを説くことなど、『与えること』を指す。」

その意味で,布施自体と布施する人の両方の意味を,言葉を分けた,ということになる。

「すべての仏教における主要な実践項目のひとつである。六波羅蜜のひとつでもある。」

とされる。「波羅蜜」は,

「波羅蜜、あるいは、玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた、パーラミー、梵語: Pāramitā, パーラミター)とは、パーリ語やサンスクリット語で『完全であること』、『最高であること』を意味する語で、仏教における各修行で完遂・獲得・達成されるべきものを指す。到彼岸(とうひがん)、度(ど)等とも訳す。」

とあり,

「『般若経』では、般若波羅蜜(般若波羅蜜多)ほか全6種(六波羅蜜)を、あるいは『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙するが、全体としての徳目は六波羅蜜である。」

とされているらしいが,ブッダになりうる資質を獲得するために実践する六つの項目,六波羅蜜(六度彼岸)とは,

1.布施波羅蜜 - 檀那(だんな、Dāna ダーナ)は、分け与えること。財施(喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。
2.持戒波羅蜜 - 尸羅(しら、Śīla シーラ)は、戒律を守ること。。在家の場合は五戒(もしくは八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
3.忍辱波羅蜜 - 羼提(せんだい、Kṣānti' クシャーンティ)は、耐え忍ぶこと。
4.精進波羅蜜 - 毘梨耶(びりや、Vīrya ヴィーリヤ)は、努力すること。
5.禅定波羅蜜 - 禅那(ぜんな、Dhyāna ディヤーナ)は、特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること。
6.智慧波羅蜜 - 般若(はんにゃ、prajñā プラジュニャー)は、諸法に通達する智と断惑証理する慧。前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。

で,檀那は,その第一歩,という感じである。この言葉だけが,広まった,というのも皮肉ではある。

ちなみに,『百年目』の「百年目」には,

滅多にない好機,(福徳の百年目)
おしまいの時,の意で,陰謀などの露見した時などに言う語

ここで逢ったが百年目」といった使い方をするが,

「ここであったのは百年目で、次に会うのはまた百年後、ということで、もう二度と会うことができないだろう」

という意味らしい。その意味では,滅多にない好機,というよりは,「檀那」という振る舞いは,

一期一会,

同じいまは,ない,と考えた方が,いいのかもしれない。

参考文献;
http://ginjo.fc2web.com/69hyakunenme/100nenme.htm
http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2005/05/post_9d18.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E7%9B%AE
http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-sendan.htm
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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