2015年09月04日
髀肉の嘆
髀肉の嘆は,
脾肉の歎
とも当てる。脾肉とは,
ももの肉。
である。
髀肉之嘆
である。実力・手腕を発揮する機会に恵まれないのを嘆くこと。むなしく日々を過ごすことの嘆き
をいう。著者,裴松之が注に引く『九州春秋』に基づく。裴松之(372~451)は,僕の記憶が間違いでなければ,旧蜀の臣だったと思う。その彼が正史『三国志』に付けた注に基づく。
「後漢末、劉備は曹操との戦いに敗れ、 荊州の牧であった劉表の元に一時期身を寄せていた。劉備が荊州に住んで数年たった。あるとき、劉表の開いた酒宴の席に出席した。劉備は途中厠へ立ったときに自分の股に肉がついているのに気付き、悲嘆にくれて涙を流した。 席に戻ると劉表が不思議に思って訳を尋ねた。劉備は答えた。
『私は今までずっと馬に乗って戦ってきたので、股の贅肉は全くありませんでした。 しかし、今では馬に乗らないため、股に贅肉がついてしまいました。月日は瞬く間に過ぎ、老いが忍び寄ろうとしている。 しかし、私は何の功業もたてていない。それが悲しいのです。』」
このエピソードから生まれた故事成語が,
髀肉之嘆
である。大体,
髀肉の嘆
髀肉をかこつ
と言った言い回しをする。かこつは,
喞つ
とも
託つ
とも書く。「かこつ」は,
嘆いて言う。不平を言う。 「身の不遇をかこつ」「人手不足をかっている」 「無聊をかこつ」
とか,
ほかのことを口実にする。かこつける。
といった意味だ。「かこつ」は,『大言海』によると,
仮言(かごと)の末音を活用せしめたる語。独言をひとりごつ,宣言をのりごつとする,同例
としている。もともとは,
かこつく(仮言付くの略か)
で,事よすとか,その所為とする,かずける,といった意味で,それが転じて,
嘆き言う,侘び思う,
という意味になったとする。『古語辞典』には,
かこつけ(託け)
しか出ておらず,「かこちづけの約」として,口実を設ける,という意味を載せる。で,「かこち(託ち)」を調べると,
「カコトの動詞化。相手に関係があるとして,自分の行為の口実にし,また相手に原因や責任をかぶせるように言うのが原義」
とあり,「かこと(仮言)」は,「物事の原因・理由・責任を他人や他人のことにかこつける言葉の意」とあり,「かこつ」が,人のせいに片寄せるという意味が原義であることをうかがわせる。だから,
髀肉の嘆
と
髀肉をかこつ
で言う,
嘆(歎)く
のと
託つ
の二つ,微妙に意味が違う。しかも,
「喞つ」と当てる
のと,
「託つ」とあてる
のとでは,また,微妙に違うのではないか。
「喞つ」の「喞」は,
激しい鳴声をあらわす擬声語
で,「喞喞」(しょくしょく,そくそく)と,虫などがしきりに鳴く,また嘆声を意味する。
「託つ」の「託」の,
「乇」は,植物の種がひと所に定着して,芽を吹いたさまをあらわす会意文字。一所に定着するという含意がある。家を建ててそこに定着するのが「宅」となる。「宀」は屋根である。「言」を加えた「託」は,言葉を頼んで,ひとところに預けて定着させる,という意味。で,
まかせる
とか
ゆだねる,
から,そこに付託するというか仮託することで,
かこつける,ことよせる,それに便乗する,
という意味を持つ。とすると,
「喞つ」
を使えば,どことなく,めそめそする,というイメージになるし,
「託つ」
を使うと,どこなく,何か,誰かのせいにしかねない嘆きに聞こえてくる。
無聊をかこつ
不遇をかこつ
という言い回しも,その意味で,どちらを使うかで,少しニュアンスが変わる。
劉備の「髀肉之嘆」は,「嘆」なのであって,かこっているわけではないから,人にかこつけているようには見えない。因みに,「嘆」の右のつくりは,
「革(動物の上半身)+火+土」の会意文字,
で,動物の脂を火で燃やすさまを示す。「口」をくわえた「嘆」は,「口が厚くなって乾くこと」を示す。熱っぽく興奮して言葉にならなず舌打ちだけすること,だそうである。で,意味は,なげくだが,言葉にならず息を漏らす,という含意。
「歎」の左側は,「嘆」の右側と同じだが,「欠」は,身体をかがめる,という意味を加えて,喉が渇いて,はあとため息を漏らす,という意味になる。「なげき」の溜息は,「歎」の方が大きいということになる。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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