2015年09月05日
畳紙
畳紙は,
僕が読んでいたものには,
たとうし
とルビがあった。しかし,調べると,
たとうがみ
あるいは
たとう
となっている。そして,
帖紙
とも当てる。「たたみがみ」が訛ったもの,とする。辞書(『広辞苑』)には,
檀紙・鳥の子などの紙を横に二つ,縦に四つに折ったもの。幾枚も重ね,懐中に入れて置き,詩歌の詠草や鼻紙に用いる。ふところがみ,かいし,折紙。
厚い和紙に渋や漆を塗り,四つに畳むようにして折り目を付けた包み紙。和服,結髪の道具などをしまう。
とある。和服をしまう和紙と,懐紙とが,同じく畳紙と呼ばれる。あるところに,
「懐紙のことも『たとう紙』といいますので、畳む紙の意味するところは『着物等を畳んでしまう紙(たとう紙)』あるいは『既に畳んである紙(懐紙)』などの紙を指す言葉ですね。『たとう紙』の読み方は、『たとうし』『たたみがみ』というのだと、私は数十年間思ってきました。『紙』をつけずに、単に『たとう』ということの方が多かったですが。
ところが今回ネットで見ましたら『たとうがみ』という読み方しか出てこなくて、『たとうし』の方は見つからないのです……。」(http://ochakai-akasaka.com/150702-tatousi/)
とあった。推測するに,「たとう紙」の意味で,「畳紙」を「たとうし」とも呼ぶようになったのだろう。誰にとっても当たり前だから,「紙」をつけてもつけなくても,「たとう」は「たとう紙」のことだった。しかし,それが実際には,日常に使われなくなると,読みかたが,一律化してしまったように見える。例の,葬儀に真珠のネックレスという間違った(一方的な)情報が,わからなくなった世代以降には,規律になったように。
どう考えても,
たとうがみ,
などと無粋な呼び方に思える。音韻からも,語感からも,
たとう,
ないし
たとうし
の方が和語に叶っている気がするがいかがであろうか。
上記の記事は,お茶関係の方らしいが,和服関係では,「たとうし」と呼びならわしている,と記している。古い呼び方が残っているのは,伝統分野だけらしい。しかし,『大言海』も,
たたみがみ
を取る。懐紙(ふところがみ)と訓ませているが,こう説明している。
紙を畳みて懐中し,不時の用に供(そな)ふるもの。
として,
「常に懐中して鼻紙とするは,杉原紙二十枚を五つに折る。有職にては鳥子紙,松襲(まつがさね),又は朽葉色などに染む。五色なるを色紙と云ふ。又檀紙に箔などを散らしたるも用いる。束帯衣冠の時は,懐中するは多く色目のものを用い,布衣素襖には杉原紙を用いる。」
と。さらに,包み紙については,
「厚紙に,渋,又は,漆などを塗りて,折り目をつけ,四つにたたむべくつくれるもの。」
とあり,どうも,詳しくないが,紙の種類が全く違うらしい。因みに,『大言海』のいう服装を整理すると,
http://park17.wakwak.com/~tatihana/onmyou/yougo_folder/isyou.html
に,「束帯」「衣冠」「直衣」「狩衣」の異同は,詳しいが,衣冠束帯(いかんそくたい)とは,
「衣冠と束帯をつなげていうことばで、江戸時代以降、両者を公家の正装としてまとめて、あるいは混同して言ったもの。鈴木敬三はまた、平安時代末期以降、宮中での束帯の着用機会が減少し、衣冠や直衣の着用が拡大した結果、これらを束帯の代わりに参内に用いることを『衣冠束帯』や『直衣束帯』というようになったとしている。」
布衣(「ほい」あるいは「ほうい」)は,
「布衣は、日本の男性用着物の一種で、江戸幕府の制定した服制の1つ。幕府の典礼・儀式に旗本下位の者が着用する狩衣の一種だが、特に無紋(紋様・地紋の無い生地)のものである。下位の旗本(すなわち御目見以上)の礼装は素襖とされているが、幕府より布衣の着用を許されれば六位相当叙位者と見なされた。」
で,狩衣 (かりぎぬ) の一種。狩衣は
「麻の布でつくられたから布衣と称したが,次第に綾,紗,織物でも仕立てられるようになっても,旧称のまますべて布衣といわれるようになった。」
ともある。素襖(すおう)は,
「単 (ひとえ) 仕立ての直垂 (ひたたれ) 。素袍とも書く。別名革緒の直垂。室町時代にできた男子用和服の一つで,当時は庶民が着用していたが,直垂や大紋の着用階級が定められた江戸時代に,平士 (ひらざむらい) ,陪臣の礼服となった。」
とあるので,一つは身分ごとの服装の差,正式略式の差,で懐紙も違うということなのだ。紙の種類を調べると,
杉原紙(すぎはらがみ,すいばらがみ,椙原紙とも表記)は,
「九州から東北の各地で生産され、中世には日本で最も多く流通し、特に武士階級が特権的に用いる紙としてステータスシンボルとなった。近世には庶民にまで普及したが、明治に入ると急速に需給が失われ、姿を消した。」
身分社会の一つのシンボル,ということだ。伊達や酔狂で,この紙を使えなかった。
鳥子紙(鳥の子紙)は,『大言海』に。
「楮(こうぞ)トがんびトノ皮ヲ原料トシテ、漉キタル紙。今ハ三椏(みつまた)ヲ用イル」
とある。
「主に詠草(えいそう)の料紙(りょうし)や写経料紙に用いられ、時には公文書にも使用された。特に表面がなめらかで艶があり、耐久性に優れた美しいものであるため、上流階級の永久保存用の冊子を作るのに好んで用いられた。」
らしいので,
「鳥の子は厚手の雁皮紙(がんぴし)を指していたと考えられる。……平安時代から雁皮紙(がんぴし)の厚様を鳥の子と呼んでいたと考えられる。近世の『和漢三才図絵』には、鳥の子に関して『俗に言う、厚葉、中葉、薄葉三品有り』と記して、すべての雁皮紙を鳥の子と呼んでいる。」
どうも鼻紙のイメージではない。しかし,雁皮紙(がんぴし)は,
「ジンチョウゲ科の植物である雁皮から作られる和紙である。雁皮の成育は遅く栽培が難しいため、雁皮紙には野生のものの樹皮が用いられる。古代では斐紙や肥紙と呼ばれ、その美しさと風格から紙の王と評される事もある。繊維は細く短いので緻密で緊密な紙となり、紙肌は滑らかで、赤クリームの自然色(鳥の子色)と独特の好ましい光沢を有している。丈夫で虫の害にも強いので、古来、貴重な文書や金札に用いられた。日本の羊皮紙と呼ばれることもある。しかし、厚い雁皮紙は漉きにくく、水分を多量に吸収すると収縮して、紙面に小じわを生じる特性があるために太字用としては不適とされ、かな料紙・写経用紙・手紙などの細字用として使われるのが一般的である。平安時代には、厚さによって厚様(葉)・中様・薄様と言われ、やや厚目の雁皮紙を鳥の子紙と言って、越前産が最上とされた。」
ともあるので,厚いけれどもやわらかいらしい。懐紙もまたステータスシンボルなのである。
ちょっと道草したまま元へ戻れなくなった。紙といっても,貴重品,それをもつこと自体が,身分を反映していた,と思うと,ちょっと切ない。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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