2015年09月14日
目的
目的は,辞書によれば,
実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。
倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。
といった意味が出る。しかし,これでは意味がよく見えない。目標とどう違うか,というと,
目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。
「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」のようにより具体的である。
と,まあ不得要領である。しかし,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06200.htm
に書いたように,図解すれば,一目瞭然,
目標は目的の手段の一つ,
であり,目標は,相対的に下位の目標から見れば,目的になる。
目的・目標,
という表記の仕方は,紛らわしいが,その意味では,当を得ている。つまりは,ツリー状に表現すれば,レベルが違うのである。
アリストテレスは,
「物事の終り、すなわち物事がそれのためにでもあるそれ(目的)をも原因と言う。」
と,言ったそうだが,僭越ながら,順序が逆である。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0961.htm
で表現したように,原因が束になって結果をもたらす。
原因・結果のツリー,
は,
目的・手段のツリー,
の真逆になる。結果が目的で,それをもたらす手段が原因群,となる。
この目的は,
意味,
と置き換えることができる。
意味づけ,
である。その究極は,目的論的な考えで,
自然の諸事物のうちにさまざまな神の意図があるとする,
のもそれで,その関連に,宇宙論にある,
人間原理,
である。それについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163436.html
で触れた。これも,意味づけの一種である。また,ジェームズ・J・ギブソンの提唱する,
アフォーダンス,
もまた,環境に見つける,意味・価値である。ただの石ころも,椅子代わりに見えるような,見つけ出した意味である。
前にも触れたが,人の認知形式,思考形式には,
「論理・実証モード(Paradigmatic Mode)」
と
「ストーリーモード(Narrative Mode)」
がある,という。前者はロジカル・シンキングのように,物事の是非を論証していく。後者は,出来事と出来事の意味とつながりを見ようとする。
ドナルド・A・ノーマンは,これについて,こう言っている。
「物語には,形式的な解決手段が置き去りにしてしまう要素を的確に捉えてくれる素晴らしい能力がある。論理は一般化しようとする。結論を特定の文脈から切り離したり,主観的な感情に左右されないようにしようとするのである。物語は文脈を捉え,感情を捉える。論理は一般化し,物語は特殊化する。論理を使えば,文脈に依存しない凡庸な結論を導き出すことができる。物語を使えば,個人的な視点でその結論が関係者にどんなインパクトを与えるか理解できるのである。物語が論理より優れているわけではない。また,論理が物語りより優れているわけでもない。二つは別のものなのだ。各々が別の観点を採用しているだけである。」(『人を賢くする道具』)
要は,ストーリーモードは,論理モードで一般化され,文脈を切り離してしまう思考パターンを補完し,具象で裏打ちすることになる。つまり,ロジックだけでは,生きる意味,つまり,
倫理,
が宙に浮く気がするのであろう。宗教から始まって,あらゆるところに,生きている意味が浸透する。
それは悪いこととは思わない。ただ,自分の人生に意味を付けるのは,結果なのであって,
意味があるから,生きる,
のでも,
意味を見つけたいから,生きる,
のでもない。おのれの為すべきことを為すために,
淡々と生きる,
その結果に意味がついてくる,と僕は思うのである。
何かのため,
でも,
誰かのため,
でもなく,おのれ自身の生きるために,生きる,それでいいのではないか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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