2015年09月18日
創造
久しぶりに,【第26回 アートプロデューサー竹山貴の「月例 あなたの知らない世界」】
https://www.facebook.com/events/1609096202675550/1623199377931899/
に参加させていただいた。話題は一杯だったが,僕が興味を惹かれたのは,例のエンブレム事件に関わって,
創造性,
ということだ。オリジナリティと言ってもいいが,まあ,ひとりひとりがオリジナルなので,そんな切り口では意味があるまい。
創造というのは,辞書(『広辞苑』)的には,
「新たに造ること」
「新しいものを造りはじめること」
とある。しかし,この二つは意味が違う。「新たに」造るのと,「新しいもの」を造るのとは違うのである。
エンブレムに関して言えば,ぱくろうと,コピペをしようと,模造であろうと,「新た」だと言い張ることはできる。しかし「新しいもの」かと言われれば違う。口幅ったいが,「神が宇宙を造ること」が創造なら,「新たに」ではなく,
新しいもの,
でなくてはならない。些末なことにこだわるようだが,別に,
「新しいものを産み出すこと。創作や発明、あるいは新しい考え方など、オリジナリティの強いものに対し使うことが多い。」
という説明をしているものがあった。このほうが正確である。創造の,「創」の字は,
きずつける,
という意味である。記憶で書くが,
鋳造するとき,最後に砂でつくった型を,刀で切れ目を入れる,
という意味だと,どこかで読んだ記憶がある。手元の漢和辞典には,
刃物で切れ目をつけること,素材に切れ目を入れるのは,工作の最初の段階であることからはじめるの意に転じた,
とある。「創」の字の「刂」は,「刀」を表す。
さて,本題に戻ると,最近の絵画は,デジタル化し,手でアナログチックに描くというのは少数派だということを伺った。それが実態だとすると,デジタルは,一からそもそも書き上げない。ある素材を組み合わせていく。そのとき,
その組み合わせにオリジナリティがあるとすると,何か,
というような質問をさせていただいた。それに対する答は,
思い,
であった。何々を参考にさせていただいたが,「ここだけは違います」と言い切れるものがあるかどうかとも。
有名な,ヴァン・ファンジェの“創造性”の定義は,
①創造者とは,既存の要素から,彼にとっては新しい組み合わせを達成する人である
②創造とは,この新しい組み合わせである
③創造するとは,既存の要素を新しく組み合わせる(組み替える)ことにすぎない
である。まあ,
既存の要素の組み合わせ,
である。確か,ジョブスも,
創造性とは結びつけること,
と言っていた。しかし,結びつけば何でも新しいのか,というとそんなことはない。川喜田二郎は,確か,
「本来ばらばらで異質なものを意味あるようにむすびつけ,秩序づける」
というようなことを言っていた。言い換えると,
新しい意味があるように組み合わせる,
あるいは,
組み合わせたものに新しい意味を見つける,
と言い換えてもいい。つまり,
新しい意味づけ,
である。
http://ppnetwork.seesaa.net/article/426036155.html
でも書いたが,それは言い換えると,
目的,
が明確であること,あるいは,目的意識,つまり,
何のためにそうしたか,
が明晰でなくてはならない。当然,その意図と,表現されたものが,リンクしているはずである。ある人が,
パクられた人が(パクリかどうか)一番よくわかる,
という言い方をしていた。僕も自分のホームページ上の独自の図を,コピーしてセミナーテキストに使っている(のを転載している)のに気づいたことがある。コピペは,出典を明記するのが当たり前だが,それすらしない。それをしない人は,基本,自分の頭で考えたことがない人なのだ,と思う。
閑話休題。
確かに,新たな着想,新たな発想は難しい時代になったが,それは,何か外から得ようとする(安易さ,下心)からではないのか。自分のものの見方からしか,パースペクティブは得られない。たとえば,
風景はある,
のではない,
風景は見つけ出される,
のだ。その意味で,すべては,自分の頭(あるいはものの見方)からくる。そのことを悩まない人は,才能というものの熾烈な格差に悩んだことのない人なのだろう。
それにしてもつくづく思うのは,,後代のわれらは,ニュートンではないが,何ごとも,前代の方々の,
巨人の肩に乗ってものを見ている,
ということを忘れてはならない。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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