うつけ
うつけは,
空け
とか
虚け
と当てる。 辞書(『広辞苑』)には,
動詞「うつ(空)ける」「うつく」の連用形から,
とあり,
中のうつろなこと。から。からっぽ。空虚。
気が抜けてぼんやりしていること。また、そのような者。まぬけ。愚か。
といった意味で,そういう人のことを,
うつけもの(空け者)
と呼ぶ。思い浮かぶのは,勝海舟が知言なり,と評価した,坂本龍馬の西郷隆盛評である。
「われ、はじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り。大きく叩けば大きく鳴る。」
と。まさに虚けそのものに似ている。確か,織田信長も,吉法師の時代,
尾張の大うつけ,
と呼ばれていたようだが,いわゆる,
あほ,
たわけ,
をこ(烏滸),
まぬけ,
頓馬,
とは,少しニュアンスが違う気がする。信長は,「『信長公記』に拠れば、幼少から青年時にかけて奇妙な行動が多く、周囲から」大うつけ,と呼ばれていたらしいので,規格外,常識はずれ,を指している可能性もある。実際,
「うつけとはもともと、からっぽという意味であり、転じてぼんやりとした人物や暗愚な人物、常識にはずれた人物をさす。うつけ者ともいう。字は『空』『虚』『躻』などと書く。」
とか,
「実際に暗愚な人物がうつけと呼ばれるというよりも、奇矯なふるまいなどにより『うつけ』と呼ばれるだけで、実際には暗愚なわけではない場合も多い。」
といった記述もある。現に,前田利常がそれを使ったとされるが,兵法三十六計の第二十七計にあたる戦術に,
「仮痴不癲」(かちふてん、痴を仮りて癲(くる)わず)
というのがあり,
「愚か者を装って相手に警戒心を抱かせず、時期の到来を待つ。」
というのだそうだ。その他に,
「『痴』は、将本人の痴呆や老衰など演技することも指すが、愚かな作戦行動を故意に行うことや、軍事力を隠蔽して低く見せることで敵を油断させて後に叩く戦術も指す。(静不露机,云雪屯也)」
とあって,弱小を装うというのもあるらしい。曰く,
「『癫』は狂うことであるが、この語は、偽装は『癫』でなく「痴」によらなければならないことも示している。すなわち、『癫』を演じて、是非善悪、損得が一切関係ないように動き続ければ、何らかの偽装で行っているのではないかと敵に看破されやすい。『痴』つまり『知らない、分かっていない、気づいていない』を前提にしつつ、振舞いとしては合理的である(ただし愚かな結果にはなっている)ほうが、第三者から見て自然であるため、より敵を欺きやすい。」
のだそうである。
「癲」の字の「顛」の「真(眞)」は,
匕(さじ)+鼎の会意文字,
で,鼎の中に些事でものをみたすことをあらわす。後に,「人+首の逆形」の会意文字となり,人が首をさかさにして頭の頂を地につけ,倒れることを示す。「顛」は,「頭+眞(さかさまにしてみたす,たおれる)」で,真の本来の意味を表す。「疒+顛」は,
倒れる,
さかさになる,
という意味で,「癲」は,
精神が狂って倒れる,
気が狂う,
という意味になる。「痴(癡)」の「疑」は,
留まって動かないこと,
思案に暮れて進まないこと,
という意味で,「疒+疑」は,
何かにつかえて智恵の働かないこと,
という意味になる。「痴」は,その俗字。
確かに,狂うより,痴を装う方がいいのかもしれない。しかし,規格外の言動は,常識の目からは,逸脱,痴に見える。
をこについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/419978918.html
でふれた。「をこ」もまた,単なる愚かではない。また東西の「あほ・ばか」の言語感覚差については,アホ・バカ分布図,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/420036187.html
で触れた。しかし,うつけは,必ずしもあほ,ばか,ではない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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