2015年09月26日

目的が変わる


先日,「隅田あい夏 個展~網とわたしが呼吸する~ 」

https://www.facebook.com/events/905092126227922/910535582350243/
http://gallery-st.net/
http://aika.pupu.jp/

隅田あい夏展.jpg


に伺ってきた。お約束の隅田ワールドの絵もあるが,今回,いくつか,今までにない(と言っても,小品にあったのを,自分が昨年気づかなかったらしいのだが),記憶で書くので間違っているかもしれないが,タイトルで言うと,

「あしたは乗馬の日」
「あの子の顔が見たいとき」
「なんでもない海原」
「見知らぬ島」

の四点の風景画(?)が新鮮だった。作者曰く,

「色」

を(いつもとは違って)いろいろ試したいから,と言うことであったが,僕には,色も確かに他の絵とは違うが,(入日の海を描いたからだけではなく)ちょっと視界が広がる気がして興味を惹かれた。その他,今回は,僕には,確か飲み物のタイトルがついていた,

グラスの中の女性,

を描いた何点かと,タイルの部分を切り取った絵に,ちょっと作家の視角というか焦点の絞り方に惹かれた。

上記の入日を描いた二点は,昨年の小品を改めて,描き直したもののようだが,小さいものをただ描き直す,というのではなく,作者は,

目的が変る,

と言う言い方をされた。確かにそうだろう。小説で言うと,

ショートショート

短編

で書いたものを,中編や長編に書き直すとすると,ただ同じことをただ延ばすというわけにはいかない。素人だから,的を外すかもしれないが,あるいは,

テーマ

が変り,

地と図の焦点,

が変り,さらに,

時間の流れ方,

が変わり,

物語

が変り,結局,

世界

が変り,

小説そのもの

が変るような気がする。仮に,テーマが同じでも,焦点が変り,時間の流れ方が変れば,物語そのものが変る。それはもう別の小説なのだ。絵もまた,その一瞬に,

時間の流れ

物語,

を二次元に圧縮(次元の折り畳み)してみせるのだから,その背後に,そんな操作があるのだろう。

先の風景も,小品で描いた風景を,そのまま拡大して書き直しただけでは作品にはなるまい。たぶん,臆説だが,

風景の発見し直し,

というか,

新たな風景の見つけ直し,

がいるのではなかろうか。二つを並べて詳しく見較べたわけではないから,いい加減なことは言えないが,別の風景が見えるはずではなかろうか。

それにしても,入日というか,海に沈む太陽というのは,どこか時間が止まって見える。確か,ゴダールの『気狂いピエロ』で,ラスト,ジャン=ポール・ベルモンドが,自分に巻きつけたダイナマイトに点火して,あわててそれを消そうとしたシーンからずっとカメラが引いて,海に沈む太陽に,

また見附かった,
何が,永遠が,
海と溶け合ふ太陽が。

というランボオの詩(小林秀雄訳)が重なったシーンが思い浮かぶ。そう言えば,死んだ友人が夕日を見たいと言うので,最後に,黄金崎に,夕日を見に行ったことがあった。そのとき,つくづく思ったたが,幾ら絶景をカメラに収めても,風景は,

心の中にある,

と。それにはついにかなわない。








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:03| Comment(0) | 個展 | 更新情報をチェックする
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