2015年11月07日
ごしょうぎ
「ごしょうぎ」は,
後生気
と当てる。
「後生の安楽を願う心。来世の安楽の種になるような功徳をしたいと思う気持ち。後生心。また、その心持ちであるさま。」
という意味で,
後生気を起こす,
とか
後生気が薄い,
等々とつかう。似た言葉で,
後生願い,
とか,
後生頼み,
というのがある。
後生願いは,
ひたすら来世の極楽往生を願うこと。また、その人,
後生頼みは,
阿弥陀に帰依して,極楽往生をねがうこと,またその人,
でほぼ同じ。似た言葉の,後生楽,については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/423716335.html
で触れた。意味は,
後生は安楽と思って安心すること,
心配事も苦にしないで、のんきなこと。また、そのさまや、そのような人。ののしったり、しかったりするときにもいう,
とあるから,似ているが,後生気を起こして,後生楽となる,と言う順序であろうか。
しかし,「後生気」の「後」を抜いて,
生気,
となると,「せいき」と訓むと,当たり前だが,まったく意味が変わる。
いきいきした活力,活気,
万物を育てる自然の力,
となるが,同じ「生気」でも,「しょうげ」と訓むと,
陰陽道で,十二支を12ヵ月に配当し,正月を子とし,順次に12月に至り,これを八卦の方角に当て,その人のその年の吉であろうとする方角を指示したもの,吉の方角。生気の方(かた)。
「生気の色」の略。
と意味が変わる。「生気」の色というのは,
生気を考えて定めた衣服の色。東には青,南には赤を用いる等々,
とある。「生気(せいき)」というと,
元気
活力
精気
神気
英気
といった言葉に連なるが,そうしたものの中心が,いわゆる,
正気(せいき),
ではなかろうか。「正気」は,
天地にみなぎっていると考えられている,至公,至大,至正な天地の気,
正しい気風,
という意味になる。それは,『孟子』にある,
我善く浩然の気を養う。敢えて問う,何をか浩然の気と謂う。曰く,言い難し。その気たるや,至大至剛にして直く,養いて害うことなければ,則ち天地の間に塞(み)つ。その気たるや,義と道とに配す。是れなければ餒(う)うるなり。是れ義に集(あ)いて生ずる所の者にして,襲いて取れるに非ざるなり。行心に慊(こころよ)からざることあれば,則ち餒う也。
という「浩然の気」につながり,文天祥の
「正気の歌」
につながる。文天祥については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5
「正気の歌」については,
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%8C
に詳しいが,この辺りは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/411864896.html
ですでに触れた。この歌に和した,藤田東湖の,
天地正大の気
粹然として神州に鍾まる
秀でては不二の嶽杜為り
巍々として千秋に聳ゆ
注いでは大瀛(だいえい)の水と為り
洋々として八洲を環(めぐ)る
が,幕末の生気になった。このエネルギーの是非は別として,いまこの国に必要なのは,この生気であり,正気なのではないか。後生気にすがっている場合ではない。
文天祥の言う,
天地に正気あり,
雑然として流形を賦す
下は則ち河嶽と為り
上は則ち日星と為る
人に於いては浩然と為る
まさに,「沛乎として滄溟に塞つ」。大いに天地に満ちている,この気が機ではないだろうか。
参考文献;
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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