あを


あお(青)を辞書(『広辞苑』)でひくと,

「一説に,古代日本では,固有の色名としては,アカ,クロ,シロ,アオがあるのみで,それは,明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は,灰色がかった白色を言うらしい。」

とある。そのため,「青」の範囲は広く,

晴れ渡った空のような色,
緑色,
青毛の略。馬一般にも言う。
若い,未熟の意,

とある。語源を見ると,

「アオカ(明らか)」

が語源どあろうとされている,と言う。で,

「明るい空,明るい海,生き生きとした山や森の木々の明るい色」をアオといったとする。だから,藍から,緑まで,意味が広い。

「藍から染めた明るい色が,さまざまあるのも同源のアオと言われるのもうなずかれる」

と。「藍」は,

アイ染めの染料(藍玉)から多くのアオ色が染め出される」

が,この幅のことを言っているのであろう。『古語辞典』をみると,

「藍と同源」

とあり,青と藍と緑の使い分けが気になってくる。「みどり」を辞書(『広辞苑』)でひくと,

緑・翠

とあて,

「ミドが語幹で,『瑞々(みずみず)し』のミヅと関係があるか」

と,「?」で留められている。意味は,

草木の新芽,また,書架の若葉,
青と黄の間色,草木の葉のような色,

とある。語源は,『大言海』は,

「翠鳥色(そびどりいろ)の略転かと云ふ,或いは水色の略転か」

とあいまい。語源的には,

「水+トオル(通・透)の連用形」で,緑の字を当て,木の花などが,水に濡れているようなミズミズシサをミドリといったのが語源。洗い髪のみずみずしさを緑の黒髪,みずみずしいミドリゴ,みずみずしい松の若葉のミドリ,楓の若葉を下から見上げて透き通るようなミドリ,等々。

と,もう一つ説があって,『大言海』の言う,

「カワセミの古語,ソニドリ,ソミドリ」から来たとして,翡翠の字をミドリに当てる。どうやら,見ている対象から来ているのだから,言葉としては,「アオ(あを)」しかなく,それを,漢字で当てていくことで,微妙に意味が分化していった,というところだろうか。

「青」という字は,

「生(青い草の芽生え)+丼(井戸の中の清水のたまったさま)」で,青草や清水のような澄み切ったあおいろ,

を指し,

「緑がかったあお,黒みがかったあおなど,けがれなくすみきったかんじのするあおを青という」

とある。対になるのは,丹(あか)である。

「翠」という字は,

「ちいさい,よけいな成分を去って,小さくしめる」という含意で,体の小さく締まった小鳥のこと,汚れを去った純粋な色」

という意味で,

「よごれのないみどりの羽,翡翠(水辺にすむ小鳥の名。全員に青緑色の美しい羽毛をもつ。カワセミのこと。雄を翡,雌を翠という)。

とある。

「緑」という字は,

「彔」(ろく)は,竹や木の皮をはいで,皮が点々と散るさま。「緑」は,皮を剥いだ青竹のように緑色に染めた糸,

を指す。で,

「青竹や草の色で,青と黄との中間色。またみずみずしくて深い感じの色。」

とある。

いつもこうやって調べて思うが,和語は,漢字なしで,言葉の微妙なニュアンスの使い分けでできない言語だと痛感する。「あお」の代名詞のような,藍自体,古く中国から輸入した。その意味で,

もっている言葉によって見える世界が違う,

というのにならうなら,漢字なしに,見える世界,つまり日本的なもの自体が存在しないのだ,とつくづく思い知らされる。

情報とは差異である,

と言う。「あを」といったいた時代,差異がない。漢字に当てて,初めて差異が見えてきた,ということなのだろう。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)





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