2015年11月15日

胴乱


落語で,『胴乱の幸助』というのをきていて,

胴乱(どうらん)

という言葉に反応した。僕のイメージでは,小さいころ,植物採集の際に,ぶら下げていた記憶があり,それをぶら下げている,というのが,ピンとこなかったのだ。

辞書(『広辞苑』)には,胴乱について,

革または羅紗布などで作った方形の袋。薬,印,たばこ,銭などを入れて腰に下げる。もとは,銃丸を入れる袋だったという。銃卵,筒卵,佩嚢
植物採集に用いる円筒状・長方形の携帯具
菓子「ごまどうらん」の略

とある。「銃卵」「筒卵」については,

「革製の方形をした小袋。古くは筒卵,銃卵とも書いた。語源は定かでないが,《日葡辞書》(1603)に〈火薬や弾丸などを入れるのに用いる皮製の袋〉と記され,《雑兵物語》にも〈胴乱の早合(はやごう)〉とあり,元来は鉄砲の弾丸入れで腰にさげていた。」

とあり,胴乱と同じとわかる。「佩嚢」は,通常「背嚢」と書く。

「軍人・学生などが物品を入れて背に負う方形のカバン。革・ズックなどでつくる」

とあり,どちらかというと,リュックサックと呼んだ方が近い。リュクサックについては,

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AF

に,

「ドイツ語本来の発音は『ルックザック (Rucksack)』、オランダ語では『リュッフザック』で、『背中袋』の意味である。英語にも『ラックサック (rucksack)』という語があるが、登山の専門用語であり、一般には通じにくい。英語の『バックパック』や日本語の『背嚢』は、いずれもドイツ語のなぞりである。
日本語が『ルック』でなく『リュック』であるのは標準ドイツ語で背中を『Rücken』(リュッケン)と言うことに影響されたものである。日本語で単にザックと呼ぶこともあるが、ドイツ語の『ザック (Sack)』は単に『袋』という意味であり、文脈上明らかな場合を除き、リュックサックの意味では使わない。」

とあり,要は,リュックサックの直訳が背嚢,つまりは軍事用語から来ている。しかし,胴乱に較べると,少し大きすぎる。

「薬や印などを入れて腰に下げる長方形の袋。江戸時代初期に鉄砲の弾丸入れとして用いられたのが始り」

との記述があるが,少し間違っているかもしれない。

本来は,「早合」は「早盒(はやごう)」と書き,火縄銃の改良に起因している。

火縄銃は,まず銃の筒先から,火薬を詰めて突き固め,それから弾丸をいれて火薬に接するように突き固める。それから火皿に口火薬を入れて蓋をし,火縄挟みを上げて火縄を装着し,火蓋を開いて据銃してねらいを定め,,引鉄を引いて発射する。一発目は用意しているからいいが,二発目以降はこれを繰り返す。このため,火縄銃には,銃の他,

火縄,
火薬及び火薬入
口火薬入
玉及び烏口(玉入れ)

が必要になる。

銃の装填操作を短縮するためにできたのが,原始的薬莢の,「早盒」である。胴乱は,早盒入れなのである。

早盒は,

「木を刳りぬいて銃の口径に合わせた筒や竹筒にあらかじめ火薬と玉を詰めたもの」

で,それを銃口にあててカルカ(弾薬を筒口から押し込むための鉄の棒)で突き,火薬と玉を一度に詰め込める。この普及で,火薬入,玉入が要らなくなり,胴乱を肩から吊ったりした。

http://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/304

を見ると,この早盒,明治初めごろ,捕鯨銃に生きていたようだ。

ところで,『胴乱の幸助』のは,腰に下げて,お金も入れていたようだから,いまで言うと,

ウエストバック

ヒップバック,

ウエストポーチ

ということになる。要は,腰カバンとして使っていたのだろう。その意味では,印籠の大きい奴,といったイメージか。

『胴乱の幸助』は上方落語の演目のひとつ。

http://homepage2.nifty.com/8tagarasu/dourannkousuke.html

にあるように,

「阿波の徳島から出てきて、一代で身代を築いた働き者の割り木屋の親父の幸助さん。いつも腰にどうらんをぶらさげて歩いている。喧嘩の仲裁をするのが道楽で、喧嘩なら子供の喧嘩、犬の喧嘩でも割って入るという。往来で喧嘩を見つけると中に割って入り、必ず近くの料理屋で説教し仲直りさせご馳走するのを楽しんでいる。」

で,浄瑠璃「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所を稽古している声を聞きつけ,喧嘩と勘違いして,仲裁しようとし,無趣味で浄瑠璃も「お半長」(心中するお半長右衛門を略して)も知らず,実話と勘違いして,京都と聞いて,三十石船に乗って京都へ出かける。柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に入って,仲裁しようと,お半と長右衛門をここへ出せと迫ると,

番頭 「お半も、長右衛門もとうの昔に桂川で心中しました」
幸助 「え、死んだか、汽車で来たらよかった」

という下げである。

それにしても,こういうタイトルはよくあるが,胴乱は本題とは何の関係もない。

参考文献;
笠間良彦『日本合戦武具辞典』(柏書房)



ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 06:10| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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