六日知らず


落語の,『片棒』を聴いていて,

http://ginjo.fc2web.com/81katabou/katabou.htm

「けち」の言い回しで,

しみったれ,あかにしや,六日知らず,

等々と出た。で,六日知らず,を調べると,

「朔日、二日、・・、五日と指を折るのは良いが、六日から指を開いていくのはせっかく得たものを手放すようでいやだ」

という意味,と出ている。

握りっぱなし,

の洒落,とある。

「指を折って日数を勘定していって、六日からは指を開かねばならないが、それを惜しむほどのケチ。『だすことならば、袖から手をだすのもいやだ、口から舌をだすのもいやだという、これを俗に六日知らずと申します。』」

とか,

「日を勘定するのに一日二日三日四日五日と指を折る。六日てぇとこれを開けなくちゃァなりませんで、一旦握ったものはもう絶対離さないと言うので、吝嗇屋の事を『六日知らず』と言う悪口がございます。」

とか,

「1日.2日.・・、と指折り数えて「5日」までは指を折り曲げ握っていくが、『6日』からは指を開いていきます。握ったものは離さないと言うので「6日」から上は数えない。また数えられなかったので、知らないと言うケチです。」

等々と,噺の枕に使われる。落語には,『片棒』以外にも,『位牌屋』『味噌蔵』『吝嗇(しわい)屋』等々がある。

その他に,「あかにしや」というのは,落語の『片棒』『位牌屋』『味噌蔵』『死ぬなら今』等々に登場する,

主人公の商人・赤螺屋(あかにしや)ケチ兵衛,

だが,この,

「赤螺屋」は吝嗇家(ケチな人)の異称,

で,これは,

巻き貝のアカニシが、一度フタを閉じたらなかなか開かない,

という形容からきたらしい。赤螺(あかにし)を調べると,辞書(『広辞苑』)には,

アッキガイ科の巻貝。殻高は約15cm、殻口の内面が赤いのでこの名がある。表面は淡褐色で、3列の大小の突起列がある。日本各地の暖かい浅海の砂泥底にすむ。卵嚢を「なぎなたほおずき」という。肉は食用。紅螺。辛螺。

という貝の説明の他に,

(財布の口を開かないことを,赤螺が殻を閉じて開かないのにたとえる)ケチな人をあざけって言う語,

とあり,

あかにし.jpg


「サザエに似た巻き貝で、サザエの貝殻にこの貝を入れて食卓に出すと解らなかったと言われます。”あかにし”は焼くとツボの蓋を堅く閉じて取り出す事が出来なかった。そこで何も出さない事、ケチの代名詞として”あかにし”と言った。それに名前がケチ兵衛と付いていれば、 もう、これ以上のケチは無かった。」

とある。赤螺屋ケチ兵衛は,むろんそこからとられている。

それにしても,どうして「けち」が悪口の代表になるかというと,語源からみえてくる。「けち」は,



の字を当てるが,

囲碁用語の「結」「闕」(けち),

で,

「終盤で,一目,一目半とつめる」

から来ている。「けちる」という動詞も,ここから来ている。「結(けち)」は,呉音で,

「囲碁で,終局に近づき,駄目を詰めて寄せること,またその目」

とあり,「闕」(けち)とも当てる。そこから,賭け弓で勝負を決めること,に意味が広がっている。囲碁をやらぬものにはわかりにくいが,『大言海』には,

「碁を打ち終ふるを,結局と云ふ,結なり,弓に云ふも,勝負の最後の決定の意なるべし」

として,こう説明する。

「囲碁の終はりがたに,隅々などの,決まらぬ目を詰め寄すること。これをケチをさすと云ふ。今,よせと云ふ,是なり。ケチを先手にさすを,結鼻(けちばな)をとると云ふ。先手にさせば,一目づつの得となるなり」

とし,さらに,

「今,駄目をさすをケチさすと云ふは,闕の音にて,闕(欠)目すなはち,駄目なり」

とある。辞書(『広辞苑』)で,「けち」をひくと,「けちがつく」の「けち」と並んで意味が載るが,この「けち」は,「怪事」とあてる。この「けち」は,また別の由来なので,改めて,考える。

それにしても,一目,半目の差で勝負が決まるとき,一つ一つを慎重に詰めざるを得ない。そこから「吝嗇」の意が出て来ているとすれば,それは,無駄にしない,というか,慎重という意味で,悪いことには思えない。「一円をなおざりにするもの一円に泣く」である。

吝嗇の「吝」の字は,

「文+口」

で,「文」は,

「土器につけた縄文の模様のひとこまを描いたもので,こまごまと飾り立てた模様のこと」

で,

「口先を飾って言い訳をし,金品を手ばなさない意」

を示す。「嗇」の字は,

「上部は『麥(麦)』の略体。下部は囲んだ倉の形で,畑の収穫物を倉庫にしまい込むこと」

という意味になり,抱え込んで離さない,といった意味になる。「けち」に「吝しむ」の「吝」を当てるのは,なかなか含意がある。「吝」には,惜しむ以外に,くよくよして思い切りが悪い,という出し惜しみのニュアンスがある。

しみったれというのも,

「しみ+たれ」

で,

シミが垂れたように,少しずつ垂れる,

ということだろうか,みすぼらしいという意味も,意気地がない,という意味もあるようだが,一般には,

けち,

と同義と取られる。

しわ(吝)いは,

「皺+い」で,金を出すのに顔に皺を寄せて渋い顔をする
あるいは,
「締まる」「渋る」の形容詞,渋るの変化,

の二説がある。やはり出し惜しみ,である。

僕は,小心のせいか,けちが,悪いことには思えない。そのせいか,けちの反対語は,

太っ腹,
気前がいい,

ではなく,

浪費,

らしいのである。けちとは,

しまり屋
始末屋
節約家

なのである。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E6%A3%92
http://ginjo.fc2web.com/81katabou/katabou.htm



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