2015年11月30日

神道


伊藤聡『神道とは何か ― 神と仏の日本史』を読む。

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サブタイトルに,

神と仏の日本史

とあるのが肝,いま目にしている神道とは,明治に作り上げられたものだ。維新後の廃仏毀釈で,狂気のようにお寺が廃棄され,貴重な文化遺産が散逸した。まるで,ISと同じ行為が,日本を数年跋扈した。それを主導したのは,

平田派および津和野派の国学者・神職,
水戸学の同調者,
これらの影響を受けた新政府が派遣した行政担当者,

である。政府は,

神道を「神武創業之始」の「純粋」な姿に復すること,つまり神仏習合的信仰の排除,

を意図した。それは,明治元年から,四年まで全国を荒れ狂った。いまの神道イメージは,そういうISもどきの政権担当者が作り上げたものだ,と言っても過言ではない,と僕は思っている。そのとき,

「興福寺は,春日大社と一体だったために廃寺となり,僧侶全体が還俗させられた。五重塔が二十五円で売られたというのは有名な話はこのときのことである。結局,五重塔自体は残ったが,金堂・食堂などの多くの堂舎や一条院・大乗院などの院家は破却されてしまった。」

どんな過去であれ,おのれの過去の歴史と文化を破却し,破壊する権力は偽物だ。レーニンも毛沢東も,過去の主要文化遺産を破却していない。

「現代の私たちは,『神道』という語を,『日本の民俗宗教』の総称として理解している。ところが,歴史的に見た場合,この語は各時代を通じて,そのように理解されていたのではなかった。」

として,本書では,津田左右吉の『日本の神道』に上げている,「神道」の意味を,上げる。それによると,

①古くから伝えられてきた日本の民族的風習としての宗教(呪術も含める)
②神の権威,力,はたらき,しわざ,神としての地位,神であること,もしくは神そのもの
③民族的風習としての宗教に何らかの思想的解釈を加えたもの(例:両部神道,唯一神道,垂加神道)
④特定の神社で宣伝されているもの(例:伊勢神道,山王神道)
⑤日本に特殊な政治若しくは道徳の規範としての意義に用いられるもの
⑥宗派神道(例:天理教,金光教)

とあり,

「古代における意味は,①②のみであり,それ以降は中世以降に現れるという。今日,われわれが漠然とイメージしている『神道』は①に近い。これらーに日本人の精神の基底という意味あいを込めて,⑤を重ねて理解していることも多いと思う。③④は中世,近世,⑥は近世後期から近代に起こった神道流派・教派であるから,神道全体を指すものではない,」

という。「神道」という語の初見は,『日本書紀』で,本来は,(津田の指摘によると),「当時中国で使用されていた成語からの借用である。『神道』の語は,中国大陸では古くから使われてきた」もので,

「『霊妙』なる『理法』を意味し,そののち道教や仏教経典に取り入れられ,道・仏それ自体を指して使われている。また,より一般的には,神祇・神霊やその祭祀・呪法を意味するのである。」

『日本書紀』で,「神道」という言葉を使った意味は,道教の影響,神祇の意味の転用などいろいろあるが,津田は,

「日本固有の神祇信仰を仏教と対比するため」

用いたと解している。しかし,平安中期まで用例は少なく,そのほとんどが,津田の分類の②の意味で使われている。とするなら,

「『日本書紀』のみ,特殊な意味で用いられたとすることになり,…むしろ②すなわち『神の権威,力,はたらき,しわざ,神としての地位,神であること,もしくは神そのもの』という意味に解すべきではなかろうか。」

と,著者は述べる。1603年に完成した『日葡辞典』には,

「神々および神々に関する事柄」

と。定義している。このことは,

「日本の神信仰やそれにまつわる言説の総体を『神道』と呼ぶことは,解釈がわかれる『日本書記』の例を除くと,古代においては存在せず,中世,あるいは近世になって起こってきた」

と考えることができる,と著者は考え,

「現代の我々は,『神道』の語を,このような歴史過程のなかで見いだされたてきた呼称であるということを棚上げして,日本の民族宗教を指す語として使用している。しかし,『神道』の語をそのように用いることは,上代から現代に至るまで,一貫して『神道』なるものが存在していたかのような印象を与えかねない。…しかしながら,このような意識こそ,まさに近世の国学者等が唱えていたことであり,神仏分離を正当化する根拠となったものである。」

と書く。そういう意図から,本書は,

「日本の神信仰と言説の総体が『神道』の名で呼ばれるようになったのはいつからなのか,さらに道徳的・倫理的ニュアンスを含意するようになったのはいつからなのかという問題」

を追及する。

実は,「神」という漢字を当てているが,「カミ」の語源すらはっきりしていない。本居宣長も,

「迦微(かみ)と申す名の義はいまだ思ひ得ず」

と言うほどである。古代,霊的なものを示す言葉に,「カミ」「タマ」「モノ」「オニ」がある。「タマ」は,霊魂を指す,人のみならずすべての存在は「タマ」をもち,その霊威をおそれるものを「モノ」と呼び,「オニ」は,「隠」で,隠れて見えない存在を指す。

著者は,「カミ」の基本的性格を次のように整理している。

①霊的なものとして把握されており,実態的なものとみなされていない。ただ,すべての「タマ」が神なのではなく,強力な霊威・脅威をもつ「タマ」が「カミ」として祀られる。か「カミ」は「タマ」の一種なのである。
②「モノ」「オニ」も,「タマ」に属す。「カミ」が神となり,「カミ」の否定的な部分がモノ(名指し得ぬもの)は,後に怨霊的存在として,「モツケ」「モノノケ(物+気)」となる。「オニ」は「カミ」の最も荒々しい部分を取り出したもの。といって,「カミ」には,「モノ」「オニ」要素が消えたわけではない。
③「タマ」と同じく,「カミ」は目に見えないとされた。
④「カミ」は人と直接接触せず,意志を伝える時は,巫女や子供に憑依する。
⑤「カミ」の怒りは祟りという形をとる。

その「カミ」が,仏教伝来以降,神仏習合,本地垂迹を経て,神と仏は,いずれが裏か面か分かちがたくよじれていく。わずか四年弱で,廃仏毀釈が終焉したのは,仏教抜きでは,あるいは密教,修験道も含めた,仏教系抜きで,神道理論が成り立っていかないからにほかならない。

著者の立場は明確である。

「『神と仏の日本史』という副題が示すように,神道とは神祇信仰(あるいは神[カミ]信仰)と仏教(および他の大陸思想)との交流のなかで,後天的に作り出された宗教である」

である。そのことは,仏教と絡み合いながら思想化されていく神道の歴史が,おのずと証している。

参考文献;
伊藤聡『神道とは何か ― 神と仏の日本史』 (中公新書)



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posted by Toshi at 05:20| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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