2015年12月04日

とぼける


とぼけなのかぼけなのか,

といった川柳があったような気がするが,「とぼける」は,

恍ける,
惚ける,

と当てる。意味は,辞書(『広辞苑』)には,

老いて頭の働きが鈍くなる,ぼける,
聞かれたことに対して,わざと知らないふりをする。しらばくれる
ぼんやりする,
わざと滑稽な言動をする,

といった意味が載る。『古語辞典』には,

老いぼれる,耄碌する,ぼける,
しらばっくれる,知らぬふりをする,

の意味が載る。語源的には,

「と(接頭語)+ぼける」

で,わざと知らないふりをする,という意味である,とある。『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/to/tobokeru.html

も,

「とぼけるは『ぼけ』は、『ばか(馬鹿)』など痴愚を表す語と同源で、それに接頭語の『と』が ついたのが『とぼける』といわれる。 しかし、頭の働きが鈍くなることを『ぼける』と言い、 漫才などのボケのようにわざとすることもあるから、『ぼける』に接頭語『と』がついた言葉 と考える方が自然であろう。 」

とある。しかし「と」という接頭語に当たる説明は,どの辞書にもない。

『大言海』は,

「言惚(ことほく)るの略訛か」

として,

恍(ほ)く,しれじれしくなる,ぼんやりする,
恍けたる風をして戯れる,おどける,どうける,
知らぬさまを装う,しらばっくれる,

という意味を載せる。どうやら,

ぼける,

という意味が,本来の耄碌から,メタファとしてのそれに,つまり,

ぼけたふりをするに,

なり,ボケとツッコミの「ボケ」意味にと,拡大していったように見える。どっちかというと,いまは,

しらばっくれる,

という意味が強いが,どう見ても,本来は,

とぼける,

ぼける,

は,ほぼ同義だったように見受けられる。「と」の有無で,ニュアンスが変わるが,例えば,

~「と」ぼける,
あるいは,
~と,ぼける,

と,してみると,何がしかのわけがあって,「ぼける」というふうに変る。「と」は,副詞なら,

とにもかくにも,
ともかくも,
ふと,

といったようになるが,それと同根らしく,助詞でも,「とにもかくにも」を,

「話し手と相手が共通に知っていることを意識的に取りたてて指示して,『かく』という既知の自分の領域にあるものと対比させる意味を持つ」

と説明され,「見ると」とか「聞くと」といった使い方の場合,それを意識的に指示しているニュアンスがある。あるいは,

~と言って
~と思って,

等々だと,理由や動機を表す。どうやら,「と」と使うことで,その思ったり,感じたりすることが,

「常に意識的・意図的であり,時には作為的」

を示すらしいのである。だから,億説だが,

~「と」ぼける,
~と,ぼける,

は,

~とぼけてみた,

という感じなのではないか,と勝手に想像する。「と」のもつニュアンスが,ただのボケから,意識的,作為的ボケへと,転じていったのではないか,と思ってみる。そう考えると,意味のシフトが見える気がする。妄説だが。

「惚」の字は,

「忽(こつ)は『心+勿(よく見えない)』で,ぼんやりすること。のちに『たちまち』の意の副詞になったため,惚は忽の原義を表すようになった。」

とあり,気を取られて,ぼんやりすること,という意味である。

「恍」の字は,

「『心+光』で,荒(むなしい)の意を含む。何かに気を取られて,心の中がむなしくなること」

とあり,うっとりする,とか,ぼんやりしてよくみえない,という意味になる。当てた漢字からも,

呆ける,

という意味はあるが,とぼけるのもつ,

意識的な,
しらばっくれる,

という意味はない。現代の「とぼける」の同義語も,

シラを切る,
しらっぱくれる,
知らんぷりを決め込む,

という意味がほとんどである。やはり,「と」の有無で,意味の変化が生じたようだ。

~とぼける,

と見なしておくのが,まあわかりやすいのではないか。因みに,呆の字は,

「子(こども)+∪印(おむつ)」

で,「幼児をおむつに包んだ姿。何も知らない幼児と同様にぼんやりしている者の意に転じる。また褓(おむつ)の源氏でもある」とある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm


今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:43| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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