「風景画の誕生」展
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/
に出かけてきた。
展覧会の案内に,
「美術の歴史のなかで、いつ頃、どのような過程を経て「風景画」が誕生したのかを問うてみるのは、大変興味深いことである。」
と設問し,ウィーン美術史美術館にある風景画展を企図した,とある。
「本展は、風景画の誕生というドラマをたどりながら、個性豊かなそれぞれの「風景画」の中を、まるで旅するかのようにご覧いただくことのできる展覧会である。」
と書いている。で,構成は,
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/exhibition.html
第一章 風景画の誕生
第一節 聖書および神話を主題とした作品中に現れる風景
第二節 一年12ヵ月の月暦中に現れる風景
第三節 牧歌を主題とした作品中に現れる風景
第二章 風景画の展開
第一節 自律的な風景画
第二節 都市景観としての風景画
と,流れが整理されている。
そもそも,
「よく知られているように、そのなかに人物を描くことのない純粋な『風景画』は、17世紀のオランダを中心とする文化圏で生みだされている」
のだそうだが,それ以前にも,
イエス・キリストの降誕の場面の背景にそれを祝福する美しい風景,
聖母マリアが危難を避けてエジプトへ逃れる途上で,嬰児イエスともに休息をとる場面の平穏な心休まる風景,
古代より描き続けられて来た一年12ヶ月の月暦図のなかに年中行事や風景,
画家たちの心の中に想像される幻想の風景,
等々に,「風景」は描かれてきたらしいが,風景自体を,地と図でいうなら,図として意識するのは,ずっとのちのことになるらしい。
たしかに,風景画とあっても,
「聖フルゲンティウスのいる風景」
とか,
「キリストの誘惑が描かれた風景」
と,主題は,宗教的・神話的であることを強いられている中で,風景は背景か添え物である。しかし,やがてそういう足かせが,少しずつ自覚的に遠景に追いやられる。
月暦に現れる風景,
では,
「聖職者のための聖務日課書や聖職者でない平信徒のための時祷書に多彩な月暦画が描かれるようになり、次第に月々の営みが豊かな自然表現を伴って描写されるようになります。細部にわたり描写された風景には、1日の時間の流れや月々、あるいは季節ごとに移り変わっていく自然の様子が描かれています。」
その中では,牡羊座だの,牡牛座の印が,小さく,ほんの目印程度になっていく。
牧歌,
「牧歌的理想郷(アルカディア)の魅力あふれる田園生活を謳ったギリシアの『牧歌』(前3世紀)」
を借りた,風景画は,あくまで,頭の中にある風景には違いないが,僕には,
「塔の廃墟のある川の風景」
は,身近な風景を自覚的に描くのとの差は,ほとんどないように見えた。風景画の範疇に入れられた,
「渓流のある風景」
は風景画とされるのだが,実際に風景を見て描いたものではない,と書いてあった。思いの中の風景と,牧歌を描いた絵との差は,何だろうか。
たぶん,それは,いわゆる(吉本隆明の言う意味とは少しずれるが),
共同幻想,
に依拠しない,画家自身に見えた,
私的な視界としての風景,
を描いた,ということにある。それは,
その画家にのみ見える風景,
なのであって,絵を見ただけで,神話や宗教的エピソードを想起させたり,そう想像させない絵,つまり,
風景そのもの,
が主題になった,ということの差なのだろう。
(神奈川沖浪裏)
(箱根宿)
かつては,山水画は,一種の理想郷を描いた。あるいは思想としての景色を描いた。あんな風景は,現実の中国にもない。それと,広重や北斎の風景との差とよく似ている。もっとも,北斎の『富嶽三十六景』や広重の『東海道五十三次絵』は,いわば名所図絵で,観光案内のようなものだから,風景画といっていいかどうかはわからない。しかし,確かなのは,広重も,北斎も,
自分に見えた視界,
を描いたのであって,ほかの誰にも,あの光景は見えない。そういうのを,
風景の発見,
というのだ,とつくづく思った。
参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%99%AF%E7%94%BB
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm