2015年12月12日

言挙げ


言挙げというのは,謂れは別にして,

コトバに出して特に言い立てること,
取り立てて言うこと,

とあり,

言揚げ,

とも当てる。で,揚言,と同義,とされる。因みに,揚言は,

颺言,

とも当て,

声を張り上げて言うこと,
強調して言うこと,
公然と述べ立てること,

という意味で,言挙げとは,少し意味がずれるような気がする。

『大言海』には,

言端(ことのは)に,論(あげつら)ひ,云ふこと,揚言,

とあり,『万葉集』の,

「我が欲(ほ)りし,雨は降り来ぬ,斯(かく)しあらば,許登安気(ことあげせずとも)稻(とし)は栄えむ」

を載せる。『古語辞典』には,

「古くはコトアゲは禁忌とされた。危急・肝要の場合には言霊の力が求められて,コトアゲが行われた」

とあり,

http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68535

には,

「神の意志に背いて特別に取り立てて述べること。言挙げに誤りがあると、命を失うことにもなるので、タブーとして慎まれていた。万葉集には『千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ』のように、千万の敵だとしても言挙げをせずに退治するのだという。また『秋津島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 然れども 我は言挙げす』のように、我が国は言挙げをしない国だが、恋の苦しさのためにその思いを特別に述べるのだという。同じ歌に『葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする』ともある。『言挙げ』というのは、個人が個人の意志を明白にする態度であるに違いなく、それを慎むというのは、それが神の態度を越えるからであろう。言挙げをするのは、神のみに許された行為なのである。神の意志を受けて行動するのが古代日本人の態度であり、言挙げは神の意志を越えたり、神の意志に背くことになるのである。記でヤマトタケルの命がイブキ山の神の出現に対して、それを神の使いだと見誤り素手でやっつけてやろうと言挙げをしたことにより命を落とす結果となった。個人の自己主張は慎むべきであり、個人の主張は神により承認された言葉において可能であったのである。そうした神の意志は、個人を越えて国のあり方におよぶものであるゆえに、言挙げは慎むべきものであったのである。」

とある。ヤマトタケルの例は,

「『古事記』の中巻には、伊吹山の神を討ち取りに出かけたヤマトタケルが白猪に遭い、『これは神の使者であろう。今は殺さず帰る時に殺そう』と『言挙げ』する場面がある。この際の用例が現存最古のものとされる。またこのヤマトタケルによる言挙げがその慢心によるものであったため、神の祟りによって殺されてしまった。」

というものである。

「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながことあげせぬ国」

という万葉集にある「言挙げせぬ」とは,『大言海』には,

「皇国を称揚する語。神の国なれば,平穏にして,何の言挙げもせぬ国。論(あげつら)ふ事など無き国なるぞと云ふなり」

とある。まあ,昨今の言挙げしまくる風潮は,維新以降の為政者の共通性だが,それは日本的ではない。

『物語要素事典』

http://www.weblio.jp/content/%E8%A8%80%E6%8C%99%E3%81%92

には,こんな例が出ている。

「『あいごの若』(説経)3段目 愛護の若を長谷の観音から授かった折、『この子が3歳になれば父か母の命を取る』とのお告げがあったが、若が13歳になるまで何事もなかった。母は『神仏も偽りを言う。人々も偽りを言って世を渡れ』と家人らに語る。観音はこれを聞き、母の命を取る。」

「『捜神後記』巻7-8(通巻85話) 怪異を信じぬ男が、『住めば必ず死ぬ』という凶宅を買う。しかし何年住んでも平穏無事で、子孫は栄え男は昇進する。男は新任地へ引越すことになり、宴会を開いて『化け物などない。この家は凶宅ではなく、吉宅となった』と演説する。たちまち化け物が現れ、男とその家族を殺す。」

「『今昔物語集』巻25-10 平貞道は、駿河国の某を殺すよう依頼されたものの、生返事をして無視していた。後に貞道は偶然、道で某と出会ったが、その時も、貞道に某を害する心はなかった。しかし、某が『我ほどの者を討つことはできまい』と不遜な言を発したため、貞道の心に殺意が生じた。貞道はただちに某を追いかけて射殺した。」

等々,神をないがしろにするような場合,慢心によるものであった場合,いわでもの放言をする場合,その報復がくる。言挙げというよりは,

言わでもがな,

の,

高言,
広言,

の類への戒め,だろう。しかし,そうでない場合,上記に,

「我が国は言挙げをしない国だが、恋の苦しさのためにその思いを特別に述べるのだという。同じ歌に『葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする』ともある。」
とあるように,肝心要の時に,

言うべきことを言う,

ことは,それとは別に必要なことではあるまいか。

口に出さないことは,けっして伝わらない,

と思う。

本当に,大事なことを,口に出してない,

ということが多すぎる。

なお,ことばについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/401176051.html

言霊については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/403055593.html

それぞれふれたことがある。

参考文献;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E6%8C%99%E3%81%92
http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_id=68535



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