葬送


「鎌倉からはじまった。1951‐2016」

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2015/kamakura_part3/index.html

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/pdf/2015_kamakura_part3.pdf

を観てきた。全体の出品作品は,

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2015/kamakura_part3/listofworks.pdf

らしいが,経緯は知らず,結果として鎌倉近代美術館が,鎌倉八幡宮の敷地から出るという,いかにも今の日本らしい出来事に,笑うしかないが,例年通り,荒神様を戴くついでに,収蔵展を覗いてきた。

「『鎌倉近代美術館(略称:カマキン)』として長く皆様に愛されてまいりました鎌倉館での最後の展覧会となるPART3では、1951年の美術館誕生から1965年までの15年を取り上げます。草創期の当館では、戦前、戦中の文化的空白を埋めるべく、佐伯祐三、萬鉄五郎、古賀春江、松本竣介などの、小規模ながらも充実した展覧会が開催されました。そうした調査と研究を重視した展覧会のあり方は、美術館の礎として受け継がれてきました。本展では、この時期に取り上げた作家による作品を所蔵品から選んで展示すると同時に、美術館の活動に伴って改修が重ねられてきた坂倉準三設計による鎌倉館の変遷を、図面や写真、映像資料で紹介します。」

と,案内にはある。これは,

坂倉準三設計による鎌倉館

が,壊される,と言うことをも意味する。

僕は絵画史には疎いので,その時代の位置づけはわからないが,一番僕の目を惹いたのは,

麻生三郎「死者」

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/webmuseum/collect/jp/detail_view.do?data_id=151

であった。画面が小さいのでわかりずらいが,

194.0×130.6

なので結構大きい。樺美智子の死への鎮魂とは,後日知ったが,そんな動機がなくても,物の形が,融けていくような,全体の絵の印象は,死というものの在りようを,強烈なイメージで描きとめている,と感じ,しばし立ち止まっていた。隣で物知り顔の男が,手をつないだ女性と,ここに顔が,と説明していたが,僕にはその識別がよく出来なかった。むしろ,顔があるかなしかに崩れていくのが,そして誰彼の輪郭が崩れていくのが,よく分かる絵だと感じていた。

麻生三郎は,

http://matome.naver.jp/odai/2134250237539196901

といった作品群があるらしいが,他の絵だったら立ち止まらない,と感じた。この絵がいい。

松本俊介「立てる像」も,

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201105110315.html

と縷々いわれる如く,有名らしいが,

立てる像.jpeg


僕は,こんな青年だけの立ち姿を描いた絵を知らない。作業服だろうか,それとスリッパをはいている。「立てる像」というタイトルがまたいい。まさに,立てる,姿である。何かのメタファとして見てもいい。しかし,そんな意味を見なくても,普通の青年が,たっている。それがいい。

もうひとつは,難波田龍起(なんばたたつおき)「哲学の杜B」がよかった。記憶では,ちょうど,「死者」の向かい側にあったのも,意図とすれば,なかなかすごいと感じた。「死者」とは,正反対の,緑と青を基調とした,ただ,板垣の塀のように並んでいる,そこに静かな雰囲気があった(という気がする)。

それにしても,こういう近代美術館の建物を壊す,というのは,今の日本の何がしかを象徴しているように思えてならない。


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

この記事へのコメント