2015年12月30日

統辞


ノーム・チョムスキー『統辞構造論』を読む。

チョムスキー.jpg


「まえがき」で,著者は,

「言語構造に関する3つのモデルを考察し,それらの限界を明確にしていきたい。ある種の極めて単純なコミュニケーション理論に基づく言語モデルや,『直接構成素分析』として現在広く知られているものの大部分を組み込んだより強力なモデルが,文法記述のためには全く適正を欠いていることが判るだろう。これらのモデルを考察し適用することによって,言語構造に関するいくつかの事実に光が当たり,また言語構造におけるいくつもの欠陥が浮き彫りにされる。特に,能動-受動関係のような文同士の関係を説明することができないという欠陥である。そして言語構造に関する第3のモデル,即ち変換(transformational)モデルを展開する。このモデルは,或る重要な面において直接構成素分析よりも一層強力であり,今述べような文同士の関係を自然な形で説明できるものである。変換の理論を注意深く定式化し,それを広く英語に適用してみると,このモデルの設計にあたって特にその説明の対象とされた現象を超える広範囲の諸現象に対して多くの洞察を与えるということが判る。つまり,形式化を行うことによって,上述したとおりの消極的および積極的な貢献が実際になされ得るということが判るのである。」

と,ある意味,高らかに宣言している。そして,「統辞論」については,冒頭で,

「統辞論(syntax)は,個別の言語において分が構築される諸原理とプロセスの研究である。ある言語の統辞的研究は,分析の対象となっているその言語の文を産み出すある種の装置とみなせるような文法を構築することを目標としている。より一般的に言うと,言語学者は,文を産み出すことに成功した文法の根底にある根源的諸特性を決定するという問題に取り組まなければならない。こうした研究から最終的にもたらされる成果は言語構造の理論でなくてはならず,この理論においては,特定の個別言語に言及することなしに,個別文法で用いられる記憶装置が抽象的に提示され,研究される。そしてこの理論の1つの機能は,個々の言語のコーパス(発話やテキストの集積)が与えられた時に,その言語にとっての文法を選択できるような一般的方法を提供するということである。」

と,その研究者の奥行と広さを明言している。その「文を産み出す装置」を,「構造的に可能な化合物に関する化学理論」と類比して,こう喩えている。

「ちょうど文法が文法的に『可能な』発話を全て生成するのと同様に,この化学理論は物理的に可能な化合物全てを生成するとも言える。そして,個々の発話の分析と合成といった特定の問題を研究するためには文法に依拠しなくてはならないのと同じように,化学理論も,特定の化合物の定性分析および合成の技術に対する理論的基礎を与えるものとして機能するのである。」

その理論構造とその可能性を,本書の付録としてついている「『言語理論の論理構造』序論」で,著者は,こう述べている。

「Lの文法とはLの理論であり,この理論はLの要素や規則に関する言語学者の諸仮説を組み入れたものである。この文法は,Lを身につけた話者-聴者によって獲得されたLの知識というものに関する説明である。変換生成文法の理論(あるいは,他の一般言語理論)は,人間言語というものを定義付けるような諸特性,即ち『言語の本質』に関する仮説を表現する。このように解釈された一般言語理論は,原語知識の獲得のための基礎を与えるところの生得的で内在的な言語機能に関する理論と見なすことが出来る。子供はその『初期状態』においては自分が暮らしている言語共同体の言語に関して何も知らされていない。その言語を決定するための,つまりその言語知っているという『最終状態』に到達するための,一群のメカニズム(その子供の『言語機能』と呼べるもの)が子供に備わっていることは明らかである。一般言語理論は子供の初期状態を記述し,子供の文法はその子供の最終状態を記述する。ここで,一般言語理論は説明理論であると見なすのが妥当であろう。というのも,一般言語理論は,言語共同体において子供がどのようにしてその共同体の言語を知るようになるか,そしてある表現の形式や意味に関する無数の事実を知るようになるのか,等々の説明を追求しているからである。
 これと完全に類比的な方法で,人間知性の他の側面を研究することが出来るかもしれない。人間がある種のデータを基にして発達させた知識や信念のシステムを考えてみよう。(中略)このシステムの獲得が―言語の獲得と同様に―人間の通常の生物学的な機能であるのならば,我々は全ての人間に共通の属性である初期状態を特徴付けようとするだろう。この特徴付けが満たすべき経験的条件というのは,所与の知識や信念のシステムを獲得する人間が利用できる類のデータが与えられた時に,初期状態における『装置』がこのシステムが表示されているような最終状態に到達できるということである。この初期状態を特徴付ける一般理論は,(中略)人間が持つある特定の認知機能(cognitive faculty)に関する説明理論であると言える。」

言語は,一つのきっかけとして,「人間知性の一般構造の考察」へと広がっていく。脳科学者からの生成文法の脳内根拠,つまり認知のシステムの研究プロセスについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163351.html

で,すでに触れた。チョムスキーの構想の奥行の深さがわかるところでもある。

しかし,こうした生成文法の本書での結論は,

「句構造に基づく直接的記述の範囲を基本的な文の核(複合的な動詞句や名詞句を含まない,単文かつ平叙文かつ能動文)に限定し,これらの基本的文(精確に言うと,これらの文の基底にある連鎖)から他のあらゆる文を変換(の繰り返しの適用)によって派生させるようにすれば,英語の記述を大いに単純化できる上に,英語の形式的構造に対する斬新で重要な洞察を得ることが出来る。」

「(その)文法は,3部構成の内部構造をもつと考えられる。文法にはには,句構造を再構築することが出来る諸法則の列と,形態素の連鎖を音素の連鎖に換える形態音素規則の列があ。この2種類の規則の列を結びつけるものとして変換規則の列があり,変換規則は,句構造を伴う連鎖を形態音素規則が適用できる新たな連鎖に換える。句構造規則と形態音素規則は,変換規則とは異なり初等的であると言える。変換をある連鎖に適用するためには,その連鎖の派生の履歴を知っていなければならないが,変換以外の諸規則を適用するときには,その規則が適用される連鎖の形が判っていれば十分なのである。」

という説明になる。この「素描」だけでは,その具体的核心は,なかなか得られない。その意味で,本書は,訳者(福井直樹・辻子美保子)が,解説で,

「言語研究に広く深い影響を与え,しばしば学問上の『革命』と称される生成文法理論の誕生は,『統辞構造論』という一冊の小冊子によって告げられたとされることが多い」

と述べるように,名高い生成文法理論を世に問うた一書ということになるのは確かだが,しかし,著者自身も,

「ここでの大半の議論の基礎となっている変換の理論および英語の変換構造に関する研究は,本書では簡潔に素描されているだけ」

で,訳者が指摘するように,本『統辞構造論』(1957)は,

「『現代ヘブライ語の形態音素論』(1951),『言語理論の論理構造』(1955),「言語記述のための3つのモデル」(1956)のエッセンスを非常に凝縮した形でインフォーマルにまとめた著作」

であり,しかも,前二著は,長く未出版のままであって,実に読んでいても,意味のよくくみ取れない抽象度の高い著述なのである。

「『統辞構造論』に書かれていることを正確に理解するためには,これら3つの著作の大まかな内容およびそれが生まれて来る知的背景となった,さまざまな学問分野に於ける当時の展開をある程度知っていることが望ましい」

として,そのための解説を,

「『生成文法の企て』の原点」

として,本書成立までの理論形成の背景史を書き加えてくれている。しかし,それでもなお,素人には,隔靴掻痒,視界の開けないことおびただしい。

しかし素描だけでも,理論の是非判断は到底できないとしても,その構想に大きさは見えてくる。『統辞構造論』の注で,チョムスキーがこう述べていることは,実に含意が深い。

「言語理論は,文法を書いている言語に対するメタ言語で定式化されることになる。つまり,文法を構成する対象である(個別)言語に対してはメタメタ言語による定式化なのである。」

この,メタメタ言語による定式化,がまるで駄目なのは,ソシュールだのヤコブソンだのチョムスキーだの,一斉に靡くわが国の学者を見るとわかるが,それは(言語学だけにとどまらずニーチェだの,カントだの,ヘーゲルだの,ヴィトゲンシュタインだの,フーコーだのと靡くのも同じで),思想や哲学というもの(メタメタ言語による定式化そのもの)の欠如以外の何ものでもない。それは,今日,ソフト(これもまた,メタメタ言語による定式化)において完全に後れを取り(というよりコピーそのものになり),いまだ「ものづくり」しか自慢できないわが国の貧しさを示しているようで,悲哀というより,絶望感に駆られる。

ついでながら,チョムスキーはいまだ健在で,オリバー・ストーンやマイケル・ムーアとともに,普天間基地の辺野古移転に反対しているアメリカ文化人29人の一人であることも,付記しておきたい。

参考文献;
ノーム・チョムスキー『統辞構造論』(岩波文庫)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 05:51| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください