2016年01月06日

キャラ立ち


村上隆の五百羅漢図展を観る。

http://www.mori.art.museum/contents/tm500/

http://www.mori.art.museum/contents/tm500/exhibition.html

案内には,

「村上隆は、現在国際的に最も高い評価を得ている現代美術作家のひとりです。ロサンゼルス現代美術館を皮切りに世界巡回した回顧展をはじめ、ヴェルサイユ宮殿やロックフェラーセンター前広場などさまざまな場所で大型インスタレーションを発表。その圧倒的なスケール感と完成度の高さにより世界中の人々を驚嘆させてきました。 国内待望の個展となる本展では、絵画史上最大級の全長100メートルに及ぶ《五百羅漢図》が日本で初公開されます。本作は、東日本大震災にいち早く支援の手を差し延べてくれたカタール国への感謝を込めて、震災の翌年2012年に首都ドーハで発表されました。この《五百羅漢図》を中心に、現代美術史への新たな挑戦となる新作の数々で構成される本展は、成熟期を迎えた作家の驚くべきスケールとエネルギー、芸術的達成に触れるまたとない機会になるでしょう。」

五百羅漢図.jpg


とある。正直,村上隆についても,五百羅漢についても,ほとんど知らない。

五百羅漢は,辞書的に言うと,

「仏教で供養尊敬を受けるに値する 500人の人々。第1回,第4回の仏典編集会議に集った人々がそれぞれ 500人であったことから両会議の参加者をさしていう。また,確かな根拠はわからないが,中国,日本の禅宗で五百羅漢の崇拝が行われ,それに関する美術品も多い。」

ということになるらしい。

さて,展覧会で驚いたのは,写真を撮り放題だったことだ。こういう展覧会の楽しみ方もあるのか,と,ある意味新鮮で楽しかった。これだけでも,来たかいがあった。

出口近くで,村上の語録をフィルムにして上映していたが,そこで,

キャラ立ち,

しなくてはいけない,といった趣旨のことを言っていた。東山魁夷が東山魁夷とすぐ分かるように,という例を挙げて。キャラ立ちとは,

「キャラ立ち(キャラだち)とは、自らの個性を際立たせ、1つの独立したキャラクターとして他者に認識させることである。キャラクターの確立。印象の強化でもある。この表現は、虚構世界(物語)の登場人物という意味での「キャラクター」にも、現実世界における対人関係のための性格という意味での『キャラクター』にも使用される。」

ということで,はじめは,

「漫画はキャラクターを立てなきゃダメ」

というところから始まったらしいが,少なくとも,村上自身がキャラ立ちしていることは間違いない。

最初に出迎えたのは,

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自身をカリカチュアした像だが,この展覧会全体を象徴するように置いてあった。そこを入った部屋に,白虎と青竜が,対面して飾られ,同行者曰く,

迫力に圧倒された,

と言うように,巨大な絵だ。ただ,圧倒するような大きさの割に,ユーモラスさと,あたたかさを感じさせたのは,ある種の特徴を示しているのかもしれない。

僕は,白虎,青竜,朱雀,玄武,の中では,羅漢の密集度と言い,全体の密度と言い,白虎が一番いい,とは思う。画面の下にずらりと並んだ,小さな羅漢像を,撮っていったが,一つ一つが生き生きしている所は,確かな筆力だと思うし,同行者が,背景を観ながら,その技術について感嘆していたが,僕には技術的なことも,歴史的なことも別に,一つの世界が出現しているとは認めざるを得ない気がした(「五百羅漢」は個人蔵とあるところを見ると,誰か個人の所蔵らしいのも驚く)。

ただ,僕個人は,アニメチックというか,マンガチックというキャラ立ちの画風は,好きではなく,五百羅漢を描くという意味では,こちらの先入観があるにしても,けばだちすぎて,迫力はともかく,祈りの思いは湧いてこなかった。

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ただ,個人的には,制作中とされていたが,

「見返り,来迎図」

と題された作品は,いいと思った。勝手な妄想だが,天平期というか,仏教受容期の,華やかな仏画の雰囲気があり,かつて来迎図はこんな雰囲気ではなかったかと,思わせるものが醸し出されていた気がした。

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いまひとつは,

「知りたくもないことであったのだが、、、実は、、、死んでも魂は生き続けるらしい。そんなに、、、何万年も,何十億年も魂が劣化しないとはいえないであろうに」

と長いタイトルの絵がいい。光線の具合で反射してしまっているが,もう少し穏やかな黒のグラデーションは,心を落ち着かせるものだった。

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素人が言うのも,おこがましいが,画風は,水木しげるの漫画のようなカリカチュアの際立つ,意識的なものだろうが,「マンガとアニメ」の既視感がずっと尾を引く(だからと言って,水木しげるの絵をあれだけ巨大化した絵に描く筆力がなまなかのものでないことは認めるが)。

その意味で,「達磨」は,

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既視感に,安定と重みがある。こちらに,まだどこかにマンガとアニメと絵画を断絶させる先入観があるせいかもしれない。しかし,禅師がよく描く,円相は,

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どう描きかえても,この墨黒一色の描く世界観には,拮抗し得ない気がした。

DSC_0717.jpg


それは,まだ書き換えた円相の世界観が,墨一色の円に勝てない,ということのように見える。

全体に既視感が付きまとったが,その既視感は,既にある世界,とこかで,既に見た,という意味だけではない。

おなじみの世界,

という意味でもある。しかし,もうひとつ,

見たこともない世界,

という視界を開いてくれるものではなかった。次の時代を拓く,というには,

顔なじみすぎた,

という気がしてならない。言い過ぎだろうか。



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posted by Toshi at 05:58| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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