2016年01月10日

娑婆


娑婆は,

しゃば,
とも
さば,

とも訓む。辞書(『広辞苑』)には,

「梵語sahā,忍土,忍界と訳す。」

と注記して,

苦しみが多く,忍耐すべき世界の意。人間が現実に住んでいるこの世界。釈迦牟尼が強化する,
自由を束縛されている軍隊,牢獄または遊郭などに対して,外の自由な世界,俗世間,

とある。しかし,これでは,実はよく意味が分からない。『古語辞典』では,

「釈迦出現のこの世界,または釈迦の教化がおよぶ世界」

とあり,ただの俗世をいうわけではない。

『生活の中の仏教用語』には,

http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq000001r30o.html

「『サハー』には、その意味を表す『忍土(にんど)』という意訳語もある。忍土とは、『苦しみを耐え忍ぶ場所』という意味である。そのあまりに露骨で身も蓋もない意味が人々に嫌われたのであろうか、こちらの方はあまり使われてこなかった。いずれにしても、私たちが生活しているこの世の中は、本質的に苦しみを耐え忍ぶ場所であるというのが、仏教の世界観なのである。(中略)
『娑婆』には、もう一つの意味がある。それは、ブッダ釈尊が人間を教化する場所という意味である。つまり、私たちの苦しみに満ちた生活の中に、苦しみを生み出す根元を教えて、与えられた生活を肯く生き方を教えようというのである。眼前の苦しみは、そのよって来たる所を明らかに知って、人間であることを完成していくための糸口であると言うのである。』

と書いている。

『語源由来辞典』

http://gogen-allguide.com/si/syaba.html

は,

「娑婆は仏教から出た言葉で、『忍耐』を意味するサンスクリット語『saha』の音写。 この世は内に煩悩があり、外は苦しみを耐え忍ばなければならない俗世であることから『忍土』と漢訳され、自由のない世界は『娑婆世界』や『娑界』と呼ばれた。 そこから、江戸時代の遊郭では吉原を『極楽』に見立てて,吉原の外を『娑婆』と言うようになった。しかし拘束されている女郎達の立場からすれば,『娑婆(吉原の外)』は自由な世界にあたるため,本来の意味とは正反対の意味として使われるようになった。」

ウィキペディアも,

「江戸時代になり、吉原などの遊郭では、金さえ出せば身分に関係なく、自由に心ゆくまで遊べるということから、遊郭を『浄土』に見立て、郭(くるわ)の外の世界を娑婆と呼んだ。しかし一方、『籠の鳥』になっている遊女の視点から見ると、郭の中は地獄で、外の世界である『娑婆』こそ、自由に過ごせる人間的な世界である。この『遊女の視点』の意味合いのほうがだんだん一般的になっていき、軍隊や刑務所、隔離病棟などの拘束を受ける場所と外の世界を対比して、自由に過ごせる外の世界という肯定的な意味合いで娑婆と表現するようになった。」

とあり,確かに,娑婆は苦の世界というよりは,俗世そのものの意味に変っている。

『日本語俗語辞典』

http://zokugo-dict.com/12si/syaba.htm

では,

「娑婆とは、刑務所にいる人からみた外の自由な世界。」

と言い切っている。

「娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦の苦しみに耐える自由のない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとっての外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは『娑婆(外の世界)こそ自由の世界』になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では変わっていない。
俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマなどの出所シーンにおける『シャバの空気はうめえ』というセリフで,また、日常生活でも合宿中の生徒や新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が『早くシャバに戻りたい』といった形で使用する。」

とあるが,昨今は,そんな大仰に言い方をする人は減ったのではないか。下手をすると,通じない。しかし,娑婆がらみの言葉は多い。

娑婆以来は,

「久しぶりに会ったときに使うあいさつの語」

という意味には違いないが,正確には,

「江戸時代,遊郭内で知人に会ったときの挨拶の言葉」

という前提がある。

娑婆気は,「しゃばき」「しゃばけ」と訓むが,促音化した,

娑婆っ気,

の方が,なじみがある。

現世に執着する心。世俗的な名誉や利益を求める心,

という意味だが,そんなに重くはないニュアンスではないか。

娑婆で見た弥三郎は,

「知っている人なのに、知らないふりをすること。弥三郎は、弥次郎・弥十郎などともいう。」

とも言う。いずれも,江戸時代の言い回しだが,昨今は,廃れた。

娑婆塞ぎ(しゃばふさぎ,しゃばふさげ)となると,

生きているというだけで、なんの役にも立たないこと。また、その人,

という意味だが,。完全に死語になっている。その言葉で見える世界がなくなったのだということだろう。それは,この世界が,苦しみでなくなった,自由になったという意味なら,いいのだが,ただそれが見えなく(気づかなく)なったのだとすれば,最悪である。

参考文献;
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq000001r30o.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%91%E5%A9%86


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