2016年01月15日
怪異
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』を読む。
「はじめに」で,
「江戸時代の怪異譚を特徴付ける時代特性とは何か。あるいは江戸期の人々の奇談語りに立ちあらわれる説話の志向性とは,いかなるものか。」
と設問し,それを考える糸口として,丹波国山家領の郷士楠数右衛門に起きた霊異を挙げている(越前若狭の博物地誌『拾遺雑話』)。
「妻のお梅が長煩いの末にみまかる。野辺送りの折,塚穴から沢山の蛇が湧き出し,皆人は不吉な兆しにおののいた。間もなく福知山より後妻を迎え,祝言をとり行うことになる。盃を取り交わすところに亡き妻が『挨拶に出』たので,宴客は驚き逃げ出してしまう。それからというもの,お梅の幽霊は化粧鏡の中にさえ影を映すようになり,憔悴しきった後妻を親元に返そうと駕籠に乗せるが,『お梅ものりて重くして舁く事』がかなわない。執拗な亡魂の発動を封じるために講じた真言僧や山伏の祈祷も効験なく,結局,『禅宗覚応寺』の『禅嶺和尚』の施餓鬼法要を受けて,やっと執念深い亡者を済度することができたという。この事件の後日談について,編者の木崎惕窓はこう付記するのであった。
『お梅が法名を妙善といふ。妙善が障礙やまず,終に数右衛門も自殺す。弟も江戸にて自害,その類族を亡す。皆人聞て恐る。元禄末の事なり。』
名僧の法力により一旦は成仏したかに見えた婦霊は,その後も侍の家筋に祟りをなし,ついに血族一門の滅亡に至る。皿屋敷伝説にも似た結末を示して,この地方奇談は畢るのであった。」
この例話には,
「近世の怪異譚を成り立たせている重要な文化背景の痕跡が見え隠れする。」
として,著者はいくつかの特徴を挙げていく。
ひとつは,仏教唱導者の近世説教書(勧化(かんげ)本)のなかに類例の求められる,
仏教的な因果譚としての側面,
をあらわしている。
「檀家制度をはじめとする幕府の宗教統制のもとで,近世社会に草の根のような浸透を果たした当時の仏教唱導は,通俗平易なるがゆえに,前代にもまして,衆庶の心に教義に基づく生き方や倫理観などの社会通念を定着させていった。とりわけ人間の霊魂が引き起こす妖異については,説教僧の説く死生観,冥府観の強い影響がみてとれる。死者の魂の行方をめぐる宗教観念は,もはやそれと分からぬ程に民衆の心意にすりこまれ,なかば生活化した状態となっていたわけである。成仏できない怨霊の噂咄が,ごく自然なかたちで人々の間をへめぐったことは,仏教と近世社会の日常的な親縁性に起因するといってもよかろう。」
そうした神仏の霊験,利益,寺社の縁起由来,高僧俗伝などに関する宗教テーマが広く広まり,
仏教説話の俗伝化,
を強めて,宗教伝説が,拡散していった。
その一方で,上記の怪異譚は,結果として一族を滅ぼした亡霊は,法力の霊験が効果がなかったことをも示しているのだから,そうした宗教的因果譚の覊絆から離れていく傾向もあらわている。それは,
「もはや中世風の高僧法力譚の定型におさまりきれなくなった江戸怪談の多様な表現を示す特色」
であり,
「中世曹洞禅の縁起伝承には,名僧を導師とする妖魔,幽鬼の鎮撫と禅寺開創の因縁譚がめずらしくない。…そのような仏教説話の常套話型に比べてみた場合,決して救われることのないお梅怨霊の風説が放つ説話伝承史的な特性と位相は明白であった。」
そこには,説話の目的と興味が,
「高僧の聖なる験力や幽霊済度といった『仏教説話』の常套表現を脱却して,怨む相手の血筋を根絶やしにするまで繰り返される亡婦の復讐劇に転換するさまを遠望することになるだろう。」
それは,怪異小説に脚色され,虚構文芸の表現形式を創り出すところへとつながっていくことになる。こうした,
「江戸怪談の宗教性と脱宗教性,もしくは物語の深層に沈殿した仏教的な思惟」
の解析が,「本書の第一の目的」と,著者は書く。そのために,
和漢の類書,
故事説話集,
民間説話,
口碑伝説,
市井の奇談雑筆,
地方奇談集,
地誌に載る山川草木の妖異,
古社名刹の故事,
等々も「江戸怪談の生成プロセスを解き明かすのに欠かせない」等々によって,「あとがき」にあるように,
「現今の文学史ジャンルに含まれる怪異小説,浮世草子,読本はもとより,民間伝承や仏教民俗,宗教思想を包括する広義の『江戸怪談』を対象とせざるを得なかった」
幅広い範囲を網羅している。
全体は,
第1部 仏教唱導と怪異譚(唱導と文芸の間;仏教説話の近世的位相)
第2部 怪異小説のながれ(初期怪異小説の成立;浮世草子・読本と説話・伝承)
第3部 江戸怪談の人間理解(富と怪異;産育と怪異;江戸時代人は何を怖れたか)
という構成なのだが,
それぞれで取り上げられる,たとえば,
『死霊解脱物語聞き』
『御伽人形』
『金玉ねぢぶくさ』
『世間子息気質』
『雨月物語』
が,全体のなかで,どんな位置づけで例示されているのか,門外漢には,わからないまま読まされることが多く,全体を俯瞰する流れがわからないままに細部に分け入っていく苦痛が付きまとった。非才ゆゑの苦痛かもしれないが。
参考文献;
堤邦彦『江戸の怪異譚―地下水脈の系譜』(ぺりかん社)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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