悶着


悶着は,

悶著
あるいは
捫着
あるいは
捫著


とも当てる。「もんじゃく」とも訓む。辞書(『広辞苑』)には,

乱れもつれること,もめごと,
かかりあうこと,関係のたえないこと,

という意味が載る。『デジタル大辞泉』には,

感情や意見の食い違いから起こるもめごと。いさかい,
好ましくないものとかかわり合うこと,

と載る。こちらの方が,意味のニュアンスというか,陰翳がある。中世末期の『日葡辞典』には,

「モンヂャク,モミツク,即ち,モノヲイロイロニトリアツカウ」

とあるらしい。語源は,

「悶(もだえ苦しむ)+着(接尾語 著しい)」

とあり,

心のもだえる争い,もめごと,

となる。たんなる「いさかい」ではなく,心をもみくちゃにされるようないさかい,というニュアンスであろうか。

『由来・語源辞典』

http://yain.jp/i/%E6%82%B6%E7%9D%80

は,

「考えなどが合わず。物事がもつれてもめること。多くは『一悶着』の形で使われる。」

として,『語源由来辞典』を,

「『悶』は気がふさぐこと、『着』はくっついて離れない の意で、中国では『悶着』は『不愉快な気分が続く』意を表す。それが日本では、『嫌な感じ』の意が、互いの感情のもつれや意見の食い違いから起こる争いやもめごとの意に意に転じた。」

として,「悶着」の含意が,はっきりする。

「悶」の字は,

「門とは,入口を閉じる門,塞ぐ意を含む。悶は『心+音符門』で,胸が塞がって外へ発散せず,むかむかすること」

とある。悶々とか苦悶という使い方を見ると,その含意はわかる。漢和辞典(『字源』)を見る限り(「悶著」の字を当てていたが),「揉めて争う」という意味が載る。

「捫」の字は,

「門は,綴じて中を隠す,隠れた物を探る意を含む。『捫』は,『手+音符門』で,手探りすること」

とある。どうも,「捫」からは,「悶」の意は出ない。謂れはわからないが,漢和辞典(『字源』)によると,「悶着」に,「捫着(著)」と当てる表現は,我が国だけの使い方のようだ。

「着」の字は,

「著(ちゃく,ちょ)」が本字,

とある。で,

「『艸(くさ)かんむり+音符者(つまる,集まる)』で,ひとところにくっつくこと。着は俗字」

とある。「著」の字を調べると,

「者は,柴をもやして,火熱をひとところに集中するさま。著は,『艸+音符者』で,ひとところにくっつくの意を含む。箸(ちょ 物をくっつけてもつはし)の原字。チャクの音の場合は,俗字の着で代用する。」

とあり,さらに,

「著はのちに,著者の著の意味に専用され,チャクの意に使うときは,着を使うようになった」

とある。因みに,「者」の字に当たると,

「者は,柴がこんろの上で燃えているさまを描いたもの(象形文字)で,煮(火力を集中して煮る)の原字。ただ古くから「これ」を意味する近称指示詞に当てて用いられ,諸(これ)と同系のことばをあらわす。ひいては直前の語や句を,『~するそれ』ともう一度指示して浮き出させる助詞となった。また,転じて『~するそのもの』の意となる。唐・宋代には『者箇(これ)』をまた『適箇』『遮箇』とも書き,近世には適の草書を誤って,『這箇』と書くようになった」

とある。

それにしても,悶着に,

悶著,

と当てる時,我が背国の先人は,「著」と「着」の関係を熟知していたことになる。いつもながら,先人の中国語理解の深さに感嘆する。

こう見ると,悶着は,

いさかい,
いざこざ,

よりは,

葛藤,
確執,

という言葉が,近い気がする。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)


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