こだまは,
木霊
とか
木魂
とか
木魅
とか
谺
と当てる。辞書(『広辞苑』)には,
樹木の精霊,
やまびこ,反響,
歌舞伎囃子の一つ。深山または谷底のやまびこに擬す,
とある。語源は,
「木+タマ(魂・霊)」
とある。
「木の精霊,やまびこのこと。反響を。タマシイの仕業と見ている言葉」
と載る。「やまびこ」は,
山彦,
と当て,辞書(『広辞苑』)には,
山の神,山霊,
山や谷などで,声,音の反響すること,
と,ある。語源は,
「山+ヒコ(精霊・彦・日子)」
で,山間での音の反響を指す。しかし,『語源由来辞典』を見る限り,
樹木の精霊
と
山霊
とは同じなのだろうか,と引っかかる。
例の,鳥山石燕『画図百鬼夜行』には,「こだま」を「木魅」と当て,老松と翁と嫗とが描かれていて,
「百年の樹には神ありてかたちをあらはすといふ」
とある。阿部正路氏は,
「老いた樹木は,樹木たることを超えて,神そのものとしての,本来の姿をあらわすという思想がある。百年とは,要するに並の人間の生命を越えたものの,長い月日を意味するものであり,『百鬼夜行』における『百』も,数字として限定された〈百〉を意味するものではなく,無限に存在しつづけるものの数の〈総体〉として意識されてきたものであった。」
と書く。
(鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「木魅(こだま)」)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%9C%8A
には,
「木霊は山神信仰に通じるものとも見られており、古くは『古事記』にある木の神・ククノチノカミが木霊と解釈されており、平安時代の辞書『和名類聚抄』には木の神の和名として『古多万(コダマ)』の記述がある。『源氏物語』に「鬼か神か狐か木魂(こだま)か」「木魂の鬼や」などの記述があることから、当時にはすでに木霊を妖怪に近いものと見なす考えがあったと見られている。怪火、獣、人の姿になるともいい、人間に恋をした木霊が人の姿をとって会いに行ったという話もある。」
と説明する。
『古語辞典』をみると,「中世末まで,コタマと清音」とあり,例外はあるが,濁らなかったようだ。
「鬼か神か狐か木魂か」(『源氏手習い』)
「樹神,古太万(こたま)」(『和名抄』)
「木魅(こたま)」(名義抄)
と例が載る。樹木の精霊として,
「古びた木に宿って,人気の少ないときに形をあらわし,害をすることがあると信じられた」
という意味とともに,
「山中・谷間などで起こる音の反響現象を,樹神の応答と想像したもの。やまびこ」
とあり,どうやら,老木に宿る精霊のいたずらの一つが,やまびこ,ということになる。しかし,『古語辞典』の「やまびこ」の項には,音の反響の他に,
山の神に同じとあり,そこを引くと,
「山に住み,山をつかさどる神」
とある。樹木の精霊と山の神は違うのではないか。『大言海』も,やまびこは,
天彦(あまひこ)と同趣,
とあり,
山の神,山霊,
とある。「やまひこ」と訓ませると,やはり,山の神のニュアンスになる。因みに,天彦(あまびこ)とは,
天上の人
という意味になる。どうやら,辞書レベルで見る限り,
木魂
と
山彦
は由来が違うのではないか。しかし現象は同じ,反響を指すようになり,重なりあったということになろうか。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
阿部正路『日本の妖怪たち』(東書選書)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm