逢魔が時とは,辞書(『広辞苑』)には,
おおまがとき(大禍時)の転。禍いの起きる時刻の意,
とあり,
夕暮れの薄暗い時,黄昏,
の意とあり,
おまんがとき,
おうまどき,
とも言うらしい。『大言海』は,
おほまがとき(大禍時),
で載る。
黄昏の薄暗き時の称。大魔が時などと云ひて,怪ありとす。訛りて,おまんがとき,
と意味を載せる。薄暮れ時を指している。
黄昏,
というのは,語源的には,
「タ(誰)+そ+カレ(彼)」
で,「誰だ,彼は」の意とある。夕方人影が見分けにくくなる,という意味である。『大言海』は,
「誰そ,彼かと見分け難き義。たそがれ時の下略」
とある。『古語辞典』に,
たそ,
の項があり,
誰そ,
と当て,
「タは代名詞,ソは,指定する意の助詞」
とあり,こんな万葉集の歌が,例に載る。
「たそかれと問はば答むすべを無み君が使いを帰しつるかも」
夕方の薄暗くなる,昼と夜の移り変わる,と物の輪郭が,うす闇にまぎれてはっきりしなくなる時分である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A2%E9%AD%94%E6%99%82
には,
「読んで字の如く、逢魔時は「何やら妖怪、幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、大禍時は「著しく不吉な時間」を表していて、昼間の妖怪が出難い時間から、いよいよ彼らの本領発揮といった時間となることを表すとする。逢魔時の風情を描いたものとして、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』があり、夕暮れ時に実体化しようとしている魑魅魍魎を表している。」
とある。
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「逢魔時」
http://abcd08.biz/usimitudokioumagatokikimon/
には,おおよその時刻が,
「暮六つと言われる酉の刻(17時~19時)は逢魔が時といわれ、魔物と遭遇してしまう時間とされています。
人間の時間である昼間と魔物の時間である夜の切り替わる時間帯です。大禍刻とも呼ばれていて、たそがれ時(黄昏時)も同じ意味です。たそがれ時は、(誰、彼?)から来ていて、顔も良く判別できない暗い状態を表しています。」
とある。日の落ち方にもよるので,夜と昼の狭間,ということだろう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1323106583
に,
「それは恐らく日が沈み、それまで明らかだったものの輪郭がぼやけて見えなくなっていく、その覚束なさから生まれる不安なのだ。そして、ぼんやりとした物の陰から、何か異界の者がそっとはみ出るように現れてくるのだ。」
とある。陰と闇とがまぎれ,物の形がとける,という感覚は,ちょっと気味は悪い。さらに,
「だから、普通には魔物に逢っても意識されることは殆んどない。夕暮れ時の忙しさの中で、それは薄暗闇に紛れてしまう。ただ、感受性の強い、幼い子供を除いて……。 夕食の支度やら何やらで、忙しく立ち働かなくてはならないこの時間帯は、不思議なことに、赤ん坊は必ずぐずり、幼子は聞き分けがなくなって、母親にまとわり付くものだ。その多くの理由は、純な魂が、魔物を感じ取って不安になるためだと私は考えている。しかし、当然彼らにはその不安を説明することはできない。で、大人はいらいらと叱ったり、よしよしと宥めたりするだけなのだ。」
とあり,だからか,
「世俗、小児を外にいだすことを禁(いまし)む。」
という。
また,逢魔が時は,
王莽(おうもう)の故事に付会して「王莽時」とも書く,
とある。「おうまがとき」を「おうもうがとき」と掛けたのだろうか。
「これは王莽前漢の代を簒ひしかど. 程なく後漢の代になりし故. 昼夜のさかひを両漢の間に. 比してかくいふならん。」
と,鳥山石燕は言っているそうだが。
王莽
王莽については,
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-108.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%8E%BD
に詳しい。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A2%E9%AD%94%E6%99%82
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm