人事


人事は,

ひとごと
とも,
じんじ,

とも訓ませるが,まずは,

ひとごと,

のほうである。

「ひとごと」は,

他人事

と当てるのと,

人事

と当てるのでは少し意味が違う。前者は,

自分には無関係な他人に関すること,また,世間一般の事,

となるが,辞書(『広辞苑』)には,

「俗に『他人事』の表記にひかれて,『たにんごと』ともいう」

とある。そういう理由もあるかもしれないが,前者の意味でも,

人事,

とも当てるので,紛らわしいから,市立と私立を区別して,「いちりつ」と読んだり,「わたくしりつ」と読んだりして,口頭での区別をするという意味がないわけではない。

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/152.html

には,放送用語として,

「まず、「他人事」「たにんごと」という表記(書き方)と言い方・読み方は、どちらも放送では原則として用いないことにしています。「自分に関係ないこと」などを意味する場合の伝統的な言い方は「ひとごと(人事)」[ヒトゴト]とされ、放送でもこの語法を採っています。」

と述べ,

「もともと『他人(たにん)のこと』を意味する語・ことばには『ひとごと』という言い方しかなく、この語に戦前の辞書は『人事』という漢字を主にあてていた。ところが『人事』は『じんじ』と区別できないので『他人事』という書き方が支持されるようになり、これを誤って読んだものが『たにんごと』である。」

としている。そう考えると,もともと,

人事,

と書いて,

他人事の意,

他人のことば(評判)

という二重の意味をもっていた。

後者の「人事」は,

他人の言葉,世人の言葉,評判,世のうわさ,

という意味になる。

人事(ひとごと)言わば,筵敷け,

という諺がある。

人事(ひとごと)言えば影が差す,

とも言うが,

人の噂をすると,きっとその人がやってくるものだ,噂をするならそのつもりでせよ,

という意味らしい。

因みに,「じんじ」と訓ませる「人事」は,

人間に関する事柄,人間社会にあらわれる事件,
個人の身分・能力に関する事項,人の一心上に関する事柄,
人の為し得る事柄,人間わざ,
社会・機構・組織などの中で,個人の身分・地位・能力の決定などに関する事柄,
俳句の季語の分類の一。天文・地理などに対し人間に関する題材,

という意味で,いわば,

その人に関すること,

であり,「にんじ」と訓むと,『正法眼蔵』などに,

「諸方の雲水の人事の産を受けず」

とあり,『徒然草』に,

「人事多かる中に,道を楽しむより気味ふかきはなし」

とあったりして,お経でよくあるが,仏教系は,鼻音化するのであろうか。
だから,

人生の諸事。人としてすることや人との付き合いなど,

も,「じんじ」とも「にんじ」とも訓む。

『語源辞典』には,

「中国語の『人+事』が語源,人のすること,人としてなすこと」

という意味と言う。たとえば,

人事蓋棺定,

つまり,人の行事の是非善悪は棺の蓋をして定まる,という意味の「人事」と,

人事を尽くして天命を待つ,

つまり,人として為し得ることを尽くして,結果は天命に委ねる,という意味の「人事」と,

人事不省,

つまり,地殻を失い,意識不明になること,という意味の「人事」と,

人事の意味の幅は広い。因みに,漢字で,

「人言」

と書くと,

人の噂,
人の口,

の意味になる。これを訓むと,

ひとごと,

と訓める。『古語辞典』も,『大言海』も,

「ひとごと」

で,

人事

人言

で項を分けている。ここからは,億説だが,「人事」は,あくまで,

人に関わること,

あるいは,

人の為すこと,

であり,それに,和語の,うわさや,ひとごとという意味のニュアンスはない。しかし,「人事」という表現を手に入れ(「じんじ」という言い方は,和語にはない),「ひとごと」に当てはめたことで,「人言」と紛れたのではないか。

「古代(日本)社会では,口に出したコト(言)は,そのままコト(事実・事柄)を意味したし,またコト(出来事・行為)は,そのままコト(言)として表現されると信じられていたそれで,言と事は未分化で,両方ともコトという一つの単語で把握された。従って奈良・平安時代のコトの中にも,言の意か事の意か,よく区別できないものがある。しかし言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以後に至ると,コト(言)はコトバ・コトノハと言われることが多くなり,コト(事)と別になった。コト(事)は,人と人,人と物とのかかわりあいによって,時間的に展開・進行する出来事,事件などを言う。時間的に不変の存在をモノと言う。」

と,古語辞典にもあるように,「言」と「事」は,同一視されてもいたのだから。

「ひとごと」

と,和語で話す限り,「ひとごと」は「ひとごと」以外なく,紛れることはないが,言葉の陰翳の薄い,貧弱な会話に,漢字が混じることで,表現に奥行が増した。

「人事」

と当てた場合は,文脈のなかで,そのニュアンスを読み取るほかはない。「人事」に,「他人事」の意と,「他人の噂」の意味が,滲み出た。その陰翳効果は,漢字をもってしか手に入れられなかった。

他人事の意味の「ひとごと」については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/405159096.html

で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)



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今日のアイデア;
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