2016年02月18日

開眼


開眼は,

かいげん,

と訓むのと,

かいがん,

と訓むのとでは,少し意味が違う。

「かいがん」

は,読んで字の如く,「眼」を「開く」で,

目が見えるようになること。また,見えるようにすること,

だが,

「かいげん」

と,訓むと,意味が特定される。辞書(『広辞苑』)には,

新たに出来た仏像・仏画像の眼を入れ,仏の魂を迎い入れること,また,その法会,開眼光,解明,入眼(じゅがん),

とある。「大仏開眼」「開眼供養」という言い方をする。

そのメタファで,

慧眼を開くこと,仏道の心理を悟ること,一般に芸道などで悟りを開くこと,

となり,さらに,世阿弥が,

演者の演技によって,見物人を感激させることのできる一曲の山,三道,

という意味で使う。

「一番の眼を開く妙所なれば,開眼と名付く」

と。因みに,開聞とも言うらしく,

文句と節がぴったり融合して見物人に感動を起こさせる一曲のやま,三道,

で,

「理曲二聞を一音の感に現す境を開聞と名付く」

と。

「かいがん」「かいげん」両者違いはあるが,それを敷衍させていくと,共に,

物事の道理や真理がはっきりわかるようになること。また,物事のこつをつかむこと,

という意味になり,

俳優開眼,

を,「かいがん」とも訓ませるとするようだが,しかし,

二刀流開眼,

は,「かいげん」と訓ませるのが,妥当とすれば,やはり,本来の趣旨からすれば,「かいげん」が正しいのではないか。

語源は,中国語で,

「仏像仏画を供養して,仏の霊を迎える儀式」

とされる,それが転じて,芸道の心理を悟る,に広がったので,「かいがん」と訓ませるのは,

文字通り眼が開く,
眼が見えるようにする,

の意味に限定されるのだろう。『大言海』には,

「天智記,十年十月『開百佛眼』とあり,筆にて點眼することなりと云ふ」

とある。因みに,「眼」と「目」の違いは,「眼」の字は,

「艮(こん)は,『目+匕首(ひしゅ)の匕(小刀)』の会意文字で,小刀で句まどっため。または,小刀で彫ったような穴にはまっているめ。一定の座にはまって動かないの意を含む。眼は,『目+艮』で,艮の原義をあらわす」

とある。で,「艮」の字を調べると,

「会意文字。『目+匕(小刀)』で,小刀で目の周りにいつまでも取れない入墨をすること。あるいは視線を,小刀で突き刺すようにひと所にとめることをあらわす。一定の所にとまっていつまでもとれない,の意を含む。」

とある。一方,「目」の字は,

「象形文字で,めをえがいたもので,瞼に覆われているめのこと」

とある。

「開」の字は,

「会意文字。門のかんぬきを両手ではずして,門をあけるさま,または,『門+幵(平等に並んだ姿)』で,とびらを左右に平等に開くことを示す」

で,どうやら,心を啓く,という意味の場合,

かいげん

でなくてはならず,開いている限り,「目」ではなく,「眼」でなくてはならない。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm


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