2016年02月19日

ゆるす


ロバート.D.エンライト『ゆるしの選択―怒りから解放されるために』を読む。

ゆるしの選択.jpg


著者は,冒頭で,本書を,

セルフヘルプの本(他者による援助ではなく自力で自分を援助するための自助本)

とし,

「怒り,憤慨,終りのないように思える破壊的な人間関係というパターンの渦に巻き込まれ,そこから抜け出す方法を探している人のための本」

という。そして,本書は,著者のゆるしに関する科学的研究に基づくプログラムの紹介になっている。

「ゆるすというプロセスを選択すれば,怒り,憤慨,苦痛,そしてそれらの感情に伴う自己破壊の行動パターンから解放されて,自由になれるのです。」

と。そして,ゆるしを,

「他者によって不当に傷つけられた場合,その加害者に対する怒りの感情を乗り越えたときゆるすことができます。これは,怒りを感じる権利を否定するものではなく,その代りに,過ちを犯した行為者に憐憫,慈愛を提供するものです。加害者は必ずしもこのような恩恵に浴する権利はないことを了解しながら,ゆるしを実践します。」

と定義し,こう説明する。

「ゆるしのはじめには痛みを伴うこと,それに私たちには感じる権利があるということです。第一に,被害を与えることは不当であり,将来も不当であり続けることを承認すること。第二に,道義的にも怒る権利があり,人は私たちを傷つける権利がないという主張を支持するのは公正であること。私たちには,人として価値を認める権利があること。第三に,ゆるすことは,私たちの権利の放棄,つまり怒りや憤りの感情を放棄する必要があること。
 ゆるしは,必ずしもそうすることに値しない加害者に対する慈悲の行いです。それは,加害者と私たちの間の関係性を変化させるために提供された贈り物です。加害者がどのような人かわからない場合でも,私たちはその人との関係の質を変化させることができます。というのは,私たちはこの人に対する怒りの感情によってコントロールされなくなるからです。」

と。「ゆるし」は,英語では,forgivenessである。その語源はともかく,

許す,
赦す,

という意味となり,本書の解説が言うように,

「『許可する』ように願いを聞き届ける」

という意味なのかもしれない。しかし,日本語の語源は,

「緩う+す」

で,かたく締めたものを緩くする,という意味という。相手との緊張関係を緩めることを,自分にゆるす,ということになろうか。漢字では,

許は,それでよしとゆるすなり,
赦は,罪をゆるしやるなり,
釋は,ときゆるすなり,
宥は,なだめゆるすなり,
聴は,先方の望みを聞ききいれるなり,
免は,ゆるして免れしむるなり,
容は,堪忍してゆるすなり,

等々とあるが,やはり,この場合,「許す」「赦す」が妥当のようだ。

さて,本書は,ゆるしのプロセスを,フェーズ1から4まで定め,以下のようなステップを示している。

フェーズ1 怒りの表出
・怒りに対処することを避けてきましたか。
・怒りに向かい合ったことがありますか。
・罪や恥を感じていることを人に知られるのが怖いですか。
・怒りによる影響があなたの健康面にありますか。
・受けた傷や加害者のことばかり考えていませんか。
・あなたの状況を加害者の状況と比較しますか。
・被害を受けたことであなたの人生は永久に変わってしまいましたか。
・被害を受けたことであなたの世界観は変わりましたか。
フェーズ2 ゆるすことの決意
・あなたがしてきたことは効果がなかったと認める。
・ゆるしのプロセスを自発的に始める。
・ゆるすことを決意する。
フェーズ3 ゆるしの作業
・理解するよう努力する。
・思いやるように努力する。
・傷ついて痛みを受け入れる。
・傷つけた人に贈り物をする。
フェーズ4 発見と,感情の牢獄からの脱出
・苦しむことの意味を発見する。
・ゆるしの必要性を発見する。
・あなたはひとりではないことを発見する。
・人生の目的を発見する。
・赦しは自由自在であることを発見する。

以上のプロセスを実践するために,道具は,

日記をつける,
プロセスを同伴してくれるパートナー,

である。何度か出る「努力する」の言葉が,すごく気になるし,むなしい気がするが,このプロセスの是非を,僕は判断できない。ただ,日記については疑問がある。

どんなに感情を書き付けても,それは,あくまで閉鎖された自己対話のなかに過ぎず,自己完結している。それでは,自己対話の地獄を脱することにはならない。そのくらいなら,同伴してくれるパートナーに,

怒りを語る,

ほうがいい。

怒ること
と,
「怒っている」と言うこと

とは,まったく違う。怒りを表現できず,最悪,怒っていること自体に気付いていない場合もある。そのためには,自分の思いを語ったほうがいい。日記では,

怒る,

だけだか,人に語ることで,

怒っている(かどうかわからない思い)を伝える,

ことになり,遥かに,感情の表現になっている。前にも,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163015.html

で触れたことがあるが,僕は,

バカヤロー,

と怒りを爆発させるのではなく,

「『バカヤロー』(ここは怒りの表出でいい)と,言いたい気分だ」

と言うことで,十分,怒りの表現になる,と思っている。この効果は,感情を言葉として表現したことで,

①自分の感情との間合いが取れる,
②相手の感情とも距離を取れる。感情のやり取りを感情のぶつかりあいでなく,言葉によるコミュニケーションの土俵ができる,

といっている。ゆるすとは,

相手の行為に反応している自分の感情の虜になっている状態,

つまり,同じ土俵上での綱引き状態から,

引っぱりあう綱を緩める状態,
あるいは,
その土俵から降りる状態,

だとすると,その土俵上での視点に立っ限り,絶対に相手への感情関係は緩められない。いわば,自分をも相対化する,

メタ・ポジション,

をとらない限り,綱引き状態を脱せられないのだと思う。それは,

どつぼ

にはまった状態に近い。「どつぼ」を脱するには,前にも,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/399787014.html

で,書いたが,

「どつぼにはまって,トンネルビジョンに陥っているとき,視野狭窄の自分には気づけない。自分がトンネルに入り込んでいること自体を気づかない。それに気づけるのは,その自分を別の視点から,見ることができたときだ。一番いい方法は,あえて,距離を取ることだ。それには,
時間的な距離化
空間的な距離化
の二つである。その場から離れるか,時間を置くか,だが,それを意識的にするには,立ち止まる,ことだと思う。そうすると,選択肢が生まれる。このまま続けるか,ここでいったん止めるか,思案し続けるか等々。選択肢が出たことで,自分に距離を置ける。
この自分の状態,あるいは自分の心理,自分の感情に距離を置いて,おいおい,嵌ってるぜ,という余裕が出れば,距離が持てたのと似ている。つまり,見る自分を突き放して,ものと自分に固着した視点を相対化することだ。そうしなければ,他の視点があることには気づきにくい。」

つまり,

メタ化

である。怒りを相対化する作業をする,つまりメタ・ポジションに立つためには,まずは,

怒りを語る,

ことではないか,と僕は思う。アサーティブが効果的なのも,

自分の気持ちを言語化し,伝えようとする,

ことに端を発する。

その意味で,(いくつか異論はあるが)本書が,自分の怒りを相対化するためのプログラム,であることは確かではある。

ゆるすのは自由であることを発見する,

ということであり,その視野の囚われを脱することで,

自分の人生の意味を見つけ直す,

というのも,確かである。

参考文献;
ロバート.D.エンライト『ゆるしの選択―怒りから解放されるために』(河出書房新社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm



posted by Toshi at 05:40| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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