2016年03月20日

古寺巡礼


和辻哲郎『古寺巡礼』を読む。

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初版が,大正八年(1919)という年代を表しているのか,今と違い,諸仏にも,壁画にも,間近に対面し,矯めつ眇めつ出来ている,というのに,時代を感じる(改訂版になる,本書は,1947年)。

和辻については,敗戦後に書いた『鎖国―日本の悲劇』にあった,敗北によって,情けない姿をさらけ出した日本民族の,

科学的精神の欠如,

への反省のなかで,再三出てきた「世界的視圏」,特に「視圏」という言葉に,強く惹かれた記憶がある。その視線の射程の長さこそが,知的レベルを示す,というように受け止めた記憶がある。

本書は,戦後の改訂で,

「著者がこの書を書いて以来、日本美術史の研究はずっと進んでいるはずであるし、またその方面の著書も数多く現われている。この書がかつてつとめたような手引きの役目は、もう必要がなくなっていると思われる。著者自身も、もしそういう古美術の案内記をかくとすれば、すっかり内容の違ったものを作るであろう。つまりこの書は時勢おくれになっているはずなのである。にもかかわらずなおこの書が要求されるのは何ゆえであろうか。それを考えめぐらしているうちにふと思い当たったのは、この書のうちに今の著者がもはや持っていないもの、すなわち若さや情熱があるということであった。十年間の京都在住のうちに著者はいく度も新しい『古寺巡礼』の起稿を思わぬではなかったが、しかしそれを実現させる力はなかった。ということは、最初の場合のような若い情熱がもはや著者にはなくなっていたということなのである。」

と述べ,「文章は添えた部分よりも削った部分の方が多いと思うが、それは当時の気持ちを一層はっきりさせるためである。」と,意図を明確にしている。

この分野に疎いので,ここで書かれていることが,今日の常識とどの程度乖離しているかは読めない。しかし,昨年,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/413133184.html

で書いたように,たまたま奈良を訪れており,そのときの自分の印象と重ねながら,読んでいた。

聖林寺十一面観音に関する記述がいい。

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聖林寺十一面観


「観世音菩薩は衆生をその困難から救う絶大の力と慈悲とを持っている。彼に救われるためには、ただ彼を念ずればいい。彼は境に応じて、時には仏身を現じ、時には梵天の身を現ずる。また時には人身をも現じ、時には獣身をさえも現ずる。そうして衆生を度脱し、衆生に無畏(むい)を施す。――かくのごとき菩薩はいかなる形貌を供えていなくてはならないか。まず第一にそれは人間離れのした、超人的な威厳を持っていなくてはならぬ。と同時に、最も人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ。それは根本においては人でない。しかし人体をかりて現われることによって、人体を神的な清浄と美とに高めるのである。儀規(ぎき)は左手に澡瓶(そうへい)を把ることや頭上の諸面が菩薩面・瞋面(しんめん)・大笑面等であることなどを定めているが、しかしそれは幻像の重大な部分ではない。頭上の面はただ宝冠のごとく見えさえすればいい。左手の瓶もただ姿勢の変化のために役立てば結構である。重大なのはやはり超人らしさと人間らしさとの結合であって、そこに作者の幻想の飛翔得る余地があるのである。
 かくてわが十一面観音は、幾多の経典や幾多の仏像によって培われて来た、永い、深い、そうしてまた自由な、構想力の活動の結晶なのである。そこにはインドの限りなくほしいままな神話の痕跡も認められる。半裸の人体に清浄や美を看取することは、もと極東の民族の気質にはなかったであろう。またそこには抽象的な空想のなかへ写実の美を注ぎ込んだガンダーラ人の心も認められる。あのような肉づけの微妙さと確かさ、あのような衣のひだの真に迫った美しさ、それは極東の美術の伝統にはなかった。また沙海のほとりに住んで雪山の彼方かなたに地上の楽園を望んだ中央アジアの民の、烈しい憧憬の心も認められる。写実であって、しかも人間以上のものを現わす強い理想芸術の香気は、怪物のごとき沙漠の脅迫と離して考えることができぬ。さらにまた、極東における文化の絶頂、諸文化融合の鎔炉、あらゆるものを豊満のうちに生かし切ろうとした大唐の気分は、全身を濃い雰囲気のごとくに包んでいる。それは異国情調を単に異国情調に終わらしめない。憧憬を単に憧憬に終わらしめない。人の心を奥底から掘り返し、人の体を中核にまで突き入り、そこにつかまれた人間の存在の神秘を、一挙にして一つの形像に結晶せしめようとしたのである。」

その上で,

「このような偉大な芸術の作家が日本人であったかどうかは記録されてはいない。しかし唐の融合文化のうちに生まれた人も、養われた人も、黄海を越えてわが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らか心情の変移するのを感じないであろうか。漠々たる黄土の大陸と十六の少女のように可憐な大和の山水と、その相違は何らか気分の転換を惹起しないであろうか。そこに変化を認めるならば、作家の心眼に映ずる幻像にもそこばくの変化を認めずばなるまい。たとえば顔面の表情が、大陸らしいボーッとしたところを失って、こまやかに、幾分鋭くなっているごときは、その証拠と見るわけに行かないだろうか。われわれは聖林寺十一面観音の前に立つとき、この像がわれわれの国土にあって幻視せられたものであることを直接に感ずる。その幻視は作者の気禀と離し難いが、われわれはその気禀にもある秘めやかな親しみを感じないではいられない。その感じを細部にわたって説明することは容易でないが、とにかく唐の遺物に対して感ずる少しばかりの他人らしさは、この像の前では全然感じないのである。」

こういうのを視圏と言いたい。しかし,この視圏をもってしても,あの狂気の時代は止められなかったのである。

「きれの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼まぶた、ふくよかな唇、鋭くない鼻、――すべてわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、また超人を現わす特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている。薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人の心と運命とを見とおす観自在の眼(まなこ)である。豊かに結ばれた唇には、刀刃(とうじん)の堅きを段々に壊(やぶ)り、風濤洪水(ふうとうこうずい)の暴力を和やかに鎮(しず)むる無限の力強さがある。円く肉づいた頬は、肉感性の幸福を暗示するどころか、人間の淫欲を抑滅し尽くそうとするほどに気高い。これらの相好が黒漆(こくしつ)の地に浮かんだほのかな金色に輝いているところを見ると、われわれは否応なしに感じさせられる、確かにこれは観音の顔であって、人の顔ではない。
 この顔をうけて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。それはあらわな肌が黒と金に輝いているためばかりではない。肉づけは豊満でありながら、肥満の感じを与えない。四肢のしなやかさは柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現わされていながら、しかもその底に強剛な意力のひらめきを持っている。ことにこの重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも軽やかな、浮現せるごとき趣を見せている。これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。
 かすかな大気の流れが観音の前面にやや下方から突き当たって、ゆるやかに後ろの方へと流れて行く、――その心持ちは体にまといついた衣の皺の流れ工合で明らかに現わされている。それは観音の出現が虚空での出来事であり、また運動と離し難いものであるために、定石として試みられる手法であろうが、しかしそれがこの像ほどに成功していれば、体全体に地上のものならぬ貴さを加えるように思われる。
 肩より胸、あるいは腰のあたりをめぐって、腕から足に垂れる天衣の工合も、体を取り巻く曲線装飾として、あるいは肩や腕の触覚を暗示する微妙な補助手段として、きわめて成功したものである。左右の腕の位置の変化は、天衣の左右整斉とからみあって、体全体に、流るるごとく自由な、そうして均勢を失わない、快いリズムをあたえている。
 横からながめるとさらに新しい驚きがわれわれに迫ってくる。肩から胴へ、腰から脚へと流れ下る肉づけの確かさ、力強さ。またその釣り合いの微妙な美しさ。これこそ真に写実の何であるかを知っている巨腕の製作である。われわれは観音像に接するときその写実的成功のいかんを最初に問題としはしない。にもかかわらずそこに浅薄な写実やあらわな不自然が認められると、その像の神々しさも美しさもことごとく崩れ去るように感ずる。だからこの種の像にとっては写実的透徹は必須の条件なのである。そのことをこの像ははっきりと示している。」

ここまで書ききれる目と手を憧憬するしかない。その後,こんなエピソードを綴る。

「しかしこの偉大な作品も五十年ほど前には路傍にころがしてあったという。これは人から伝え聞いた話で、どれほど確実であるかはわからないが、もとこの像は三輪山の神宮寺の本尊であって、明治維新の神仏分離の際に、古神道の権威におされて、路傍に放棄せられるという悲運に逢った。この放逐せられた偶像を自分の手に引き取ろうとする篤志家は、その界隈にはなかった。そこで幾日も幾日も、この気高い観音は、埃にまみれて雑草のなかに横たわっていた。ある日偶然に、聖林寺という小さい真宗寺の住職がそこを通りかかって、これはもったいない、誰も拾い手がないのなら拙僧がお守をいたそう、と言って自分の寺へ運んで行った、というのである。」

廃仏毀釈の狂気が,興福寺をほぼ廃墟と化さしめた,その流れの中である。時代が,個々の視圏を押し流す奔流になったときの怖さを示す。

あるいは,薬師寺の薬師如来について,

「この本尊の雄大で豊麗な、柔らかさと強さとの抱擁し合った、円満そのもののような美しい姿は、(中略)それはわれわれがギリシア彫刻を見て感ずるあの人体の美しさではない。ギリシア彫刻は人間の願望の最高の反映としての理想的な美しさを現わしているが、ここには彼岸の願望を反映する超絶的なある者が人の姿をかりて現われているのである。現世を仮幻とし真実の生をその奥に認める宗教的な心情から、絶対境の具体的な象徴が生まれなくてはならなかったとすれば、このように超人間的な香気を強くするのは避け難いことであったろう。その心持ちはさらに頭部の美において著しい。その顔は瞼の重い、鼻のひろい、輪郭の比較的に不鮮明な、蒙古種独特の骨相を持ってはいるが、しかしその気品と威厳とにおいてはどんな人種の顔にも劣らない。……あの頬の奇妙な円さ、豊満な肉の言い難いしまり方、――肉団であるべきはずの顔には、無限の慈悲と聡明と威厳とが浮かび出ているのである。あのわずかに見開いたきれの長い眼には、大悲の涙がたたえられているように感じられる。あの頬と唇と顎とに光るとろりとした光のうちにも、無量の慧智えいちと意力とが感じられる。確かにこれは人間の顔でない。その美しさも人間以上の美しさである。
 しかしこの美を生み出したものは、依然として、写実を乗り越すほどに写実に秀でた芸術家の精神であった。彼らは下から人体を形造ることに練達した後に、初めて上から超絶者の姿を造る過程を会得したのであろう。自然の美を深くつかみ得るものでなければ、――またそのつかんだ美を鋭敏に表現し得るものでなければ、内に渦巻いている想念を結晶させてそれに適当な形を与えることはできまい。もとよりこの作は模範のないところに突如として造られたのではない。その想念の結晶も初発的のものとは言えない。しかし模範さえあれば容易にこの種の傑作が造り出されるわけではないのである。これほどの製作をなし得る芸術家は、たとい目の前に千百の模範を控えているにしても、なお自分の目をもって美をつかみ、自らの情熱によって想念を結晶させたであろう。ローマ時代のギリシア彫刻の模作は、いかに巧妙であってもなお中心の生気を欠き表面の新鮮さを失っている。そのような鈍さはこの薬師如来のどこにも現われていない。これは今生まれたばかりのように新鮮なのである。」

と,像と像の向こうの作り手の精神にまで踏み込む。あるいは,東院堂の聖観音についてでも,

「美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。仏教美術の偉大性がここにあらわにされている。底知れぬ深味を感じさせるような何ともいえない古銅の色。その銅のつややかな肌がふっくりと盛りあがっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。衣文につつまれた清らかな下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を表現したものである。しかもそれは、人体の写実としても、一点の非の打ちどころがない。わたくしはきのう聖林寺の観音の写実的な確かさに感服したが、しかしこの像の前にあるときには、聖林寺の観音何するものぞという気がする。もとよりこの写実は、近代的な、個性を重んずる写生と同じではない。一個の人を写さずして人間そのものを写すのである。芸術の一流派としての写実的傾向ではなくして芸術の本質としての写実なのである。この像のどの点をとってみても、そこに人体を見る眼の不足を思わせるものはない。すべてが透徹した眼で見られ、その見られたものが自由な手腕によって表現せられている。がその写実も、あらゆる偉大な古典的芸術におけるごとく、さらに深いある者を表現するための手段にほかならない。もし近代の傑作が一個の人を写して人間そのものを示現しているといえるならば、この種の古典的傑作は人間そのものを写して神を示現しているといえるであろう。だからあの肩から胸への力強いうねりや、腕と手の美しい円さや、すべて最も人らしい形のうちに、無限の力の神秘を現わしているのである。」

と,作り手の心映えを通して,その時代の精神にまで透徹させていく。

しかし,本書の魅力は,薀蓄を語る部分ではなく,天平伎楽面についての,

「そのときH氏が、その仮面をとって自分の顔の上につけた。この所作によって仮面は突然に異様な生気を帯びはじめた。ことに仮面をかぶったH氏が少しくその首を動かしてみたとき、顔面の表情が自由に動き出したかと思われるような、強い効果があった。わたくしは予期しなかったこの印象に圧せられて、思わず驚異の眼をみはった。
 仮面を畳の上に横たえ、または手にとって自分の膝の上に置いた時には、それはその本来あるべき所にあるのではない。われわれはこれまで仮面をその作られた目的から放して、それだけで独立したものとして観察するに慣れていたのである。普通人の顔の四倍もありそうなその仮面を、人体と結びつけて想像することは、この驚異の瞬間まではわたくしには不可能であった。しかしさてこの仮面が、仮面としてそのあるべき所に置かれて見ると、そのばかばかしい大きさは少しも大き過ぎはしない。むしろその大きさのゆえに人が仮面をつけたのでなくして、芸術的に造られた一つの顔が人体を獲得した、と言っていいような、近代人の想像をはずれた、おもしろい印象が作り出されるのである。ここではじめてわたくしは、仮面を何ゆえに大きくしたかを了解した。そうして、ギリシアの劇の仮面も同じくらいな大きさであったことを思い出し、この種の仮面の効用と大きさとの間に必然の関係のあることに思い到ったのである。」

という,著者の感覚的な印象にあるように思う。たとえば,中宮寺半跏像についての,

「この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。しかしこれは聖母ではない。母であるとともに処女であるマリアの像の美しさには、母の慈愛と処女の清らかさとの結晶によって『女』を浄化し透明にした趣があるが、しかしゴシック彫刻におけるように特に母の姿となっている場合もあれば、また文芸復興期の絵画におけるごとく女としての美しさを強調した場合もある。それに従って聖母像は救い主の母たる威厳を現わすこともあれば、また浄化されたヴィナスの美を現わすこともある。しかしこの聖女は、およそ人間の、あるいは神の、『母』ではない。そのういういしさはあくまでも『処女』のものである。がまたその複雑な表情は、人間を知らない『処女』のものとも思えない。と言って『女』ではなおさらない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない。しかもなおそこに女らしさがある。女らしい形でなければ現わせない優しさがある。では何であるか。――慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを人体の形に結晶せしめたものである。」

という文章よりは,

「わたくしはかつてこの寺で、いかにもこの観音の侍者にふさわしい感じの尼僧を見たことがあった。それは十八九の色の白い、感じのこまやかな、物腰の柔らかい人であった。わたくしのつれていた子供が物珍しそうに熱心に廚子のなかをのぞき込んでいたので、それをさもかわいいらしくほほえみながらながめていたが、やがてきれいな声で、お嬢ちゃま観音さまはほんとうにまっ黒々でいらっしゃいますねえ、と言った。わたくしたちもほほえみ交わした。こんなに感じのいい尼さんは見たことがないと思った。――この日もあの尼僧に逢えるかと思っていたが、とうとう帰るまでその姿を見なかったので何となく物足りない気がした。」

という感想に,惹かれる。

それにしても,百年近く前の文章なのに,まだ,生き生きとした息吹を伝えるのは,文章のなせる業か,それとも,観ている仏像・伽藍の醸し出す文化的な変わらぬ厚みなのだろうか。

参考文献;
和辻哲郎『古寺巡礼』(kindle版)
菊池章太『阿修羅と大仏』(幻冬舎ルネッサンス新書)


ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:13| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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