「啖呵を切る」の「啖呵」である。辞書(『広辞苑』)には,
「『弾呵』の転訛か。維摩居士が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事から」
と,注記して,
「勢い鋭く歯切れの良い言葉。江戸っ子弁でまくしたてること」
と意味を載せる。この注記は,他の辞書にはなく,『デジタル大辞泉』は,
「(「痰火」と書く)せきと一緒に激しく出る痰。また、ひどく痰の出る病気。」
が原義とし,
「喧嘩をする際などの、勢いよく言葉が飛び出す歯切れのよい言葉。」
「 香具師(やし)が品物を売るときの口上。」
という意味を載せる。因みに,香具師の口上は,例のフーテンの寅さんの,
http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/eiga/dokuson8-2.html
に,その口上が出ているが,こういうのを,
啖呵売,
という。つまり,
「大声で,口上を述べ立てて,物品を売ること。」
である。話を元へ戻すと,『大辞林 第三版』は,
「弾呵(だんか)」の転
と。
「痰火(たんか)」の転,
と二説を並べる。『日本大百科全書(ニッポニカ)』も,
「語源については、『痰火(たんか)』から転じたとする説が有力である。『痰火』は痰の出る病、あるいは咳を伴って激しく出る痰をいい、のどや胸につかえた痰が切れて、胸がすっきりした状態を『痰火を切る』ということから、『痰火』に『啖呵』をあて、…『啖呵を切る』というようになったといわれる。また、仏語『弾呵(だんか)』からの転語説もある。弾は弾劾、呵は呵責(かしやく)を意味し、維摩居士(ゆいまこじ)が十六羅漢や四大菩薩を閉口させた故事による天台宗の方等部の教意で、自分だけが成仏すればよいとする小乗の修行者の考えを強くたたき、しかりつけることをいい、転じて『啖呵』の字をあて、相手を激しくののしることの意となったとされる。」
と。「痰火」は,
せきと一緒に激しく出る痰。また、ひどく痰の出る病気。
を指す。「弾呵」は,
維摩が羅漢や菩薩が,小乗の教えにとどまっているのを叱ること。
維摩居士(敦煌壁画)
維摩居士については,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%91%A9%E5%B1%85%E5%A3%AB
こんな問答が載っている。
「彼が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧めたが、舎利弗や目連、大迦葉などの阿羅漢の声聞衆は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。また弥勒などの大乗の菩薩たちも同じような経験があって誰も見舞いに行かなかった。そこで釈迦の弟子である文殊菩薩が代表して、彼の方丈の居室に訪れた。
そのときの問答は有名である。たとえば、文殊が『どうしたら仏道を成ずることができるか』と問うと、維摩は『非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ』と答えた。彼の真意は「非道を行じながら、それに捉われなければ仏道に通達できるということを意味している。」
と。「弾呵(だんか)」か,「痰火(たんか)」の転か,の二説のうち,『語源辞典』系は,「痰火(たんか)」の転を取っているようだ。
まず,『由来・語源辞典』
http://yain.jp/i/%E5%95%96%E5%91%B5%E3%82%92%E5%88%87%E3%82%8B
は,
「『啖呵』はせきを伴って激しくでる痰(たん)、また、痰の出る病気のこと。もとは『痰火』と書き、体内の火気によって生じると考えられていた。これを治療することを『啖呵を切る』といい、治ると胸がすっきりすることからたとえていう。」
『語源由来辞典』
http://gogen-allguide.com/ta/tankawokiru.html
は,
「啖呵を切るの『啖呵』は、もともと『痰火』と書き、体内の火気によって生ずると考えられていた咳と一緒に激しく出る痰やそのような病気のこと。『切る』は痰火(啖呵)を治療・治すこと。この痰火(啖呵)が治ると胸がすっきりするところから、香具師などの隠語で、品物を売る時に、歯切れ良い口調でまくしたてることをいい、相手をやり込める意味にもなった。一説には、自分の悟りを第一にすることにとどまっていることを叱る意味の仏教語『弾呵』に由来し、『叱る』という意味から、『相手を責める』『まくしたてる』という意味に転じたともいわれる。」
と。いきさつをみると,「痰火(たんか)」より「弾呵(だんか)」のほうが,僕には納得性があるように思えるが,決め手はない。
ところで,鋭くて歯切れのよいことば,また威勢よくまくし立てる「啖呵を切る」は,
「江戸っ子弁をいう」
とまで,江戸っ子の代名詞のようにされているが,三田村鳶魚は,辛辣に,あれは芝居が,特に,
二代目団十郎のつらね,
つまり,
歌舞伎,特に荒事(あらごと)では俳優の雄弁術をきかせる芸,
の,「悪対の塊りみたいなもの」だという。それに煽られた黄表紙や洒落本が作りだしたものだ,そして「江戸っ子の啖呵」の初出は,貞亨(じょうきょう)四年(1687)の『色の染衣(そめぎぬ)』という浮世草子らしい。そこに啖呵を切るシーンがあるらしい。その上で,現実の江戸っ子について,
「江戸っ子というものと,啖呵を切ることとは,どうしても離して考えられないようになる。ありもしないことでも,それが現実のように思われてくる。けれども実際の江戸っ子はどうだと言えば,『何でえ,ベランメエ』といった調子のごく短いもので,長い文句はない。殊に言葉の手っ取り早いのを好むふうがりましたから,『何が何して何だから』で用が足りる。長い文句などは実際言っていない。…とにかく芝居から背負い込んできた江戸っ子の啖呵というものは,芝居仕込みのものであります。」
と,啖呵を切る江戸っ子像は,芝居の作り出した虚像,ということらしい。因みに,「ベランメエ」は,
「べらぼうめ」の音変化,
で,「べらぼう」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/421256499.html
で触れた。ところで,かくいう三田村鳶魚は,「啖呵」の語源は,「啖火」説で,こう書く。
「漢方医の言葉で,喉に痰が詰まってゼイゼイいう,そこへ熱を持つから啖火というのですが,喉へからまる痰を切って出せば,気持ちがよくなる。そこで『痰を切る』という言葉ができた。『溜飲を下げる』などというのも同じことで,この悪対の塊りをだす。いわんと欲していうことのできないことを言う。芝居を見物して,それを喜ぶ。また,実際見ないでも,観て喜ぶ人たちの様子が,自分達を浮き立たせるから,見ない手合いまでが騒ぐ。芝居は,この悪対というものによって,江戸っ子に景気をつけ,人気取りをする。そこに悪態趣味というものができて,ツラネというものが喝采される。」
確かに,鳶魚の,
「息もつかずにいい調子でしゃべる。そんなことも江戸ッ子にはできるはずがないし,また彼等の知識ではああ見事には纏まらない。元来彼等には弁舌などはないので,殊に調子の修練などがあるのでないから,とても役者の真似は出来るものではない。中本に書いてあるようなことが言えるものでもない。本の上ないし舞台の上であればこそ,ああいうふうにいくのである。」
という如く,寄席の芸能に,
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rokyoku/syugyo.html
で,浪曲の啖呵の稽古が載っている。
「啖呵の稽古も必要です。啖呵は修行内容としては一番難しいといわれています。啖呵は内容を伝えるだけのリアルさを伴いながらも、節の延長としての音楽性が求められます。どんなにリアルに感じる啖呵であっても、浪曲である以上、皆、三味線の音色に乗っています。浪曲の醍醐味として、啖呵から節へ、また節から啖呵へと移行する際の心地よさというものがあります。知らず知らずのうちに啖呵が節へと変化し、それがまた啖呵に戻る。これがスムーズに行われることが求められます。つまり節と啖呵が一体化して調和していなければならないのです。これこそが感情の極みをダイナミックに聞き手に伝える大きな力となります。ところがこれが実に難しいのです。修練途上の浪曲師はどうしても、啖呵から節へ入る時に、途切れた感じがしてしまいます。」
そう,鍛錬しなくてはいえない口上ということなのだ。しかし,それが,香具師の口上に生き,店頭販売の口上に受け継がれているし,その江戸っ子像は,いまも芝居や落語に残る。そうした啖呵の例は,
http://www005.upp.so-net.ne.jp/sukeroku/bangai/tanka.htm
に詳しい。
参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)
http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/eiga/dokuson8-2.html
ホームページ;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm