2016年03月29日

鼻っ張り


鼻っ張りという言い方は,昨今はしない。が,

鼻っ柱,

と,ほぼ同義らしい。辞書(『広辞苑』)には,

表面だけの原基,虚勢,
博奕で,はじめに張ること,

と意味が載る。後者の意味は,

端っ張り,

から来たのかな,という気がするが,どうも,これが鼻っ張りの由来らしい気がする。鼻っ柱は,

「はなばしら」の音変化,

で,

人と張り合って負けまいとする意気。向こう意気。負けん気。鼻っぱし。鼻っぱり,

と意味が載る。ただ,

向こう気,

虚勢,

は,微妙に違う気がする。向こうっ気は,

向こう意気,

で,相手に張り合う気持ちで,虚勢は,

から威張り,

で,似ていると言えば似ているが,向こうっ気は,向こう意気だから,

「ムコウ(向き合う)+意気」

で,負ける物かという前のめりの気持ちであり,虚勢は,中国語の,

「虚(うそ・いつわり)+勢(いきおい)」

で,見せかけでしかない。だから,実際に,衝突になったら,背を見せるが,向こうっ気は,背を見せてなるものかと,踏ん張る。それがなければ,「向かう」とは言わないだろう。まあ,

負けん気,
とか
負けず嫌い,

に近い。いわゆる,江戸っ子の「ベランメエ」は,そんな感じかもしれない。鼻っ張りが,

娑婆っ気,

に近い,と三田村鳶魚は書く。娑婆っ気については,「娑婆」について,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/432359262.html

で,触れた折に,

現世に執着する心。世俗的な名誉や利益を求める心

という意味だと書いたが,鼻っ張りと並べて見ると,

見え,

と重なってくる。「見え」は,

動詞「みえる」の連用形から。「見栄」「見得」は当て字,

で,

見た目。外観。みば,
(「見栄」と当てる)見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。体裁をつくろう,
(「見得」と当てる)歌舞伎の演技・演出の一。俳優が、感情の高揚した場面で、一瞬動きを停止して、にらむようにして一定のポーズをとること,

とある。観客(世間と置き換えてもいい)を意識して,強がる,という感じであろうか。そこまでは,確かに,虚勢だが,そこで,引かずに,向き合うから,向こう意気となる,のではないか。

この先に来るのが,「男立」ということになろうか。「男立」は,

「男+立て」で,男気があり,弱いものを助け,強いものを挫くことを言います,

とある。男伊達は,当て字である。『ブリタニカ国際大百科事典』には,

「いわゆる『旗本奴』『町奴』に代表される『かぶき者』,すなわち無頼の徒のこと,あるいは,それらの連中が身につけていた戦国の余風ともみえる男の風俗のことをいう。三升屋二三治の『紙屑籠』の『男達テ』の項には,『二代目団十郎栢莚,男達のやつしにも下に紅絹のむくを著る事,男達の襦袢はもみのゑりなし故に,荒事師のもみむくより出たるものか,りつぱにしてつよみあるを好むといふ』とある。」

とある。彌造の項で,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/422606177.html

触れたが,これもまた,鼻っ張りの類である。鳶魚は,

「この『男』というのは、武士のことをいうので、『男をやめる』といえば、帰農か帰商かしてしまうことである。従って、男達というものは、大概武士の筋目』

と言い,

「男を立てるというのは、武士を立てるというのと同じことなので、根からの町人や 百姓の言うべき言葉でもなし、思うべきことでもなかった。」

はずなのである。それを町人が真似て,「男立」を競う。そして,滑稽なことに,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163232.html

で触れたように,その男立を,江戸後期には,侍が真似る,というマンガチックなことが起こる。侍というものが無用の長物だった証といっていい。いずれも,

鼻っ張り,

に過ぎない。

参考文献;
三田村鳶魚『江戸ッ子』(Kindle版)


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http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/index.htm

今日のアイデア;
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